『ソフィーの世界』で学ぶ哲学とファンタジー 7 馬や豚や人間の背後には、馬のイデアや豚のイデアや人間のイデアがある(プラトン) 山川健一
影の世界である感覚世界(物質世界)の後ろに本当の世界がある、その世界が真理の世界である──
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「私」物語化計画 2021年10月15日
特別公開:『ソフィーの世界』で学ぶ哲学とファンタジー 7 馬や豚や人間の背後には、馬のイデアや豚のイデアや人間のイデアがある(プラトン) 山川健一
【「私」自身が狂っていないという保証すらない(山川哲)】
私事だが、愛車のミニクーパーで都内を走行中、エンジンルームから異音がし始め、小さな爆発音がして、ボンネットを開けてみたらラジエーターのキャップの根本のヒンジが折れてました。何とか渋谷の自宅に戻り、レッカー移動してもらったところだ。
ラジエーターを丸ごと交換することになりそうだが、旧いクルマなので部品があるかどうかが問題です。
昨夜はズボンズのドン松尾とオンラインのトークショーをやり、ミニ問題もあり、今週はこの原稿を書くのが遅れている。編集をしてくれているN氏、事務局のK君に迷惑をかけてしまう。
先週はミシェル・フーコーの話だった。ブログでフーコーファンを公言している弟の山川哲にメールして原稿を読んでもらったら、こんな返信があった。
フーコーに関する原稿、拝読しました。これは、近年、兄貴が書いた文章の中で、最も本質的なものだと思う。「内なる他者」の話、勉強になりました。
ところで、言うまでもなくフーコーは難解な訳だが、それにはいくつかの理由がある。その1つには、フーコーの著書を読んでも、結論めいたことは書いていない、という点にある。AはBである、というようなことは一切、書いてないのだ。従って、一生懸命フーコーの本を読んでも、一体、フーコーが何を言いたかったのか、分からないのである。『肉の告白』を読み終えた兄貴の感想も、大体、そんな感じだったのではないだろうか。
ただ、フーコーの著作を読むと、いかに人間の社会や歴史が馬鹿げているか、間違っているか、それは分かる。例えば、17世紀のフランスでは、怠け者、狂人、犯罪者、売春婦などを片っ端から監獄へ入れた訳だ。すると、パリの市民の4分の1が収監されることになった。なんという馬鹿馬鹿しい話だろう。これは『監獄の誕生』にそう書いてある。また、『肉の告白』によれば、夫婦間のセックスは出産を目的とする場合に限られるべきだとするキリスト教の思想が書かれている。これは聖書において、神が人間に対し「この世に充ちよ」と言ったので、人間の数を増やすのは神の意志に沿うものだという発想がある。他方、快楽を目的としたセックスは、動物と同じなのでダメということになる。なんという馬鹿馬鹿しい思想なのだろう。そう思う訳だが、今日においても、アメリカの福音派は、近親相姦やレイプの被害者であっても、堕胎することは認めるべきではないと主張している。
こうなってくると、17世紀のフランスも、キリスト教黎明期の西洋も、今日のアメリカも、全て狂っていることが分かる。これが第1段階の衝撃だと思う訳だ。ところが、そのような発想を展開していくと、21世紀の日本社会が狂っていないという保証など、どこにもないことに気付く。むしろ、狂っているに違いないのだ。更に考えると、「私」自身が狂っていないという保証すらないことに気付くのである。自分が狂っているかも知れない。そう思うことは困難だが、それが現実なのだ。これが第二の衝撃。こうして、ソクラテスが言った「不知の自覚」(最近は、「無知の知」とは言わない)へと辿り着くことになる。
山川哲からの私信
僕としては珍しく弟に褒めてもらったわけだが、「自分が狂っているかも知れない」という認識は凄い。ソクラテスの「不知の自覚」はこの認識を前提にしなければならないわけで、ラディカルである。
彼はこの私信を、僕が物語化計画の会員の皆さんに向けて
「21世紀においても、文学は可能である」というテーゼを証明するのが、兄貴の仕事ではないだろうか?
という一文で締めている。
60年代のミニクーパー並みのポンコツであるに違いない僕にはヘヴィな仕事だが、ま、頑張ろう。
さて、プラトンである。
【哲学も文学も本来的には面授が基本】
これもフーコーが書いていることだが、ソクラテスの時代のギリシアでは「若者愛」という制度が確立されていた。成人男性と未成年男子との間における同性愛である。
誰かが、例えばプラトンが誰かから何かを学びたいと思った時、師匠の元へと弟子入りするのである。この弟子入りが、すなわち「若者愛」である。師匠のソクラテスと性的な関係を持ち、濃密な時間を過ごしながら本質的な教育を受ける。
ソクラテスとその弟子、プラトンとは、おそらくそのような関係だった。
プラトンがソクラテスに弟子入りした時の年齢──続きはオンラインサロンでご覧ください)