『ソフィーの世界』で学ぶ哲学とファンタジー 6 番外編 自己の内なる情欲は他者である(ミシェル・フーコー) 山川健一

やはり文学にとって哲学は必須なのである──

 

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「私」物語化計画 2021年10月8日

特別公開:『ソフィーの世界』で学ぶ哲学とファンタジー 6 番外編 自己の内なる情欲は他者である(ミシェル・フーコー) 山川健一

【哲学のロジックは必ず未来を切り拓こうとする】

今週はプラトンを扱うつもりだったのだが、番外編として別の話を少しさせてください。会員の方から立て続けに性を扱う作品やプロットを送って頂き、僕なりに考えるところがあったのだ。

哲学は文学に必要なのか、と僕は今更のように考えた。例えばかつて僕が書いたポルノグラフィに哲学は必要だったのか?

外国文学や思想・哲学よりもむしろ日本文学の愛読者であり続けた僕は、哲学には懐疑的だった。谷崎潤一郎の『痴人の愛』とソクラテスには何の関係もないだろうと思っていたのだ。しかし今は、文学には(それがポルノグラフィであったとしても)哲学が必須なのだと思っている──ということを皆さんに伝えたい。

僕は今、日本の政治状況に愛想を尽かしている。細かくは書かないが、日本の政治はもはやどうにもならないのではないかと思う。

さらに、COVID-19は世界を変えた。後戻りすることは出来ないのではないかと思う。

こうした状況を生き抜くのに哲学は有効である。

今、売れっ子のドイツの哲学者であるマルクス・ガブリエルが、「新型コロナ前の世界に戻りたい」と願ってもそれは絶対に不可能だと書いている。むしろコロナ前の世界が間違っていたのだ、と。開発速度があまりに早すぎたため、人間は地球を破壊することになった。2020年に起きたことは地球からの最後の呼びかけだった。自然が「今のようなことをこれ以上続けるな」と訴えているのだとマルクス・ガブリエルは指摘している。

そして彼は、世界の価値観の中心は倫理や道徳になるべきで、彼はこれを「倫理資本主義」と呼び、ポストパンデミックの有益な産物になりうるのだと述べている。

説得力のある考え方だと思う。

哲学ってものは、前向きだ。ロジックは必ず未来を切り拓こうとする。文学が回顧的なのと対照的である。

ソクラテスによれば、本当の知は「私」の内側からやってくる。正しい認識が正しい行いにつながり、正しいことをする人だけが正しい人間なのだ。

つまり「私」の内側を見ること以外に、正しい人間として生きていく方法はないのだ。

マルクス・ガブリエルは哲学を科学と対比させ、「世界を救うのは、新しい哲学である」と言っている。その通りだと思う。哲学は文学以前に、僕らの現実にとって必要なのである。

ギリシアに哲学が誕生し、そいつは最初は科学とほぼイコールだったのだが、ソクラテスの登場で独自の展開を見せた。殺されたソクラテスはキリストやブッダに並ぶ存在になってもおかしくはなかったと僕は思うが、ギリシアの哲学者達が宗教集団を形成することはなかった。ソクラテスの哲学そのものが宗教化されることを拒絶していたからだ。

ギリシア哲学を受け継ぎながらヨーロッパでは近代思想が育まれた。これは理性によって社会を構築しようという試みだ。多くの哲学者が「法とは何か」という問題に取り組んだ。カントは『純粋理性批判』を書いて理性を強化したのである。カント、ヘーゲル、マルクスあたりまでがモダン、すなわち近代である。

こうした思想や哲学を便利に利用しながら僕が懐疑的だったのは、性の問題が扱われていないからだ。

哲学では谷崎潤一郎の『痴人の愛』ばかりではなく、川端康成の『片腕』も『雪国』も、田山花袋の『蒲団』も、つまり日本文学を解析出来はしない。

モダンの哲学者・思想家が扱ったのは昼間の世界なのであり、文学は夜の世界に属する。

やがて心理学者のジークムント・フロイトが登場する。フロイトは──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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