特別公開:小説の終わらせ方 01 エンディングのヴィジュアルを考える 山川健一
どうしたら小説を終えられるのか──という視点を導入する。
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「私」物語化計画 2021年4月16日
特別公開:小説の終わらせ方 01 エンディングのヴィジュアルを考える 山川健一
今週から、また基本に帰ります。
エピソード、ストーリー、プロットについてはこれまでにも何度か紹介した。だがなかなか、創作技法にこれらの事柄を取り込むのは難しいようだ。
そこで視点を変えて、どうしたら小説を書けるのかという問題のフェーズをずらしてみる。
どうしたら小説を終えられるのか──という視点を導入する。
まず、最初に何があるか?
プロットにせよストーリーにせよ、「何か」がなければ発動させようがない。
最初にアイディアでもいいし想いでもいいし、何か漠然とした雲の固まりみたいなものがある。それについてずっと考えていると、雲は固まり、水滴なようなものが生まれる。
その水滴が小説を書くための言葉だ。
水滴を集めると水溜まりが出来て、やがてそいつは低い方に流れ始めるだろう。水の流れがストーリーだ。川は海に流れ着くわけだが、あなたの小説はどこでどんなふうに終わるのだろうか?
それがはっきりしないから、いつまでたっても小説が完成しないという不具合が生じる。あるいは本人は作品を終わりにしたつもりでも、読者からすると曖昧なままで未完だということが多い。
キャラクターメイキングの重要性については、いちどでも小説を書いたことがあるものはよく知っている。「私」を観察したり、周囲の人達を観察したり、好きな小説や映画やアニメのキャラを思い出したりして、主人公を造形する。
小説のストーリーは最終的には登場人物達が決めるものだ。それはそうなのだが、その段階にたどり着くのは非常に大変だ。多くの場合は、自分が造形した登場人物達がああだこうだと悩み、右往左往し、悲しみ、喜び──作品の終着点が見えないまま、書き手がダラダラと文章を書き連ねている場合が多い。これでは、いつまでたっても小説は終わらない。
音楽が終わるように、小説も終わらなければならない。その終わらせ方の技術について、僕が考えていることをお伝えしようと思う。
勝負は最後の数行である。
ま、これは1パラグラフでもいいわけだが、とにかく結末部分を書けた人だけが小説を完成させることが出来て、作品の出来不出来はともかく、次の作品に進めることになる。これが書けない人が、途中で放棄した原稿の山を築くことになる。
どんなに不恰好でも構わないから、一度書き始めた小説は書き終えなければならない。なぜか。途中で書けなくなるには具体的な原因があるはずだ。ハードルと言っても良い。描写力が足りないのか、構成力が足りないのか、キャラクターメイキングが甘いのか。いずれにしても途中でやめてしまうと次の作品でも同じハードルにぶつかってしまうのだ。
強引にでも作品を完成させれば、そいつを後で自分で読み返すことで「このハードルの飛び越え方は少々不恰好だったな。次は気をつけよう」ということがわかる。
つまり自分の欠点がわかり、次回はそれを克服したもっと良い作品を書ける可能性が高いということだ。
というわけで、小説を書き終えることができる最後の数行は非常に重要なのだ。
結末部分を書く方法はいくつか存在する。
- 概念を映像化して終わらせる。
- 作品全体の思想を───続きはオンラインサロンでご覧ください)