小説の作法── 書式を自分なりに考えそれを守る 山川健一

言語と言うものは、混沌とした世界を整理整頓しひとつの形を作っていく機能を持っている──

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「私」物語化計画 2022年8月19日

特別公開:小説の作法── 書式を自分なりに考えそれを守る 山川健一

先週はお盆休みをいただき、ありがとうございました。日本列島を豪雨が襲い、箱根や東北に知人のいる僕は気が気ではなかった。幸い僕自身は何の被害もなかったが、この熱波と豪雨は、やはり温暖化の影響で地球に狂いが生じているのだとしか思えない。

さて、連載原稿を書かなくてもよかった時間を、会員の皆さんの原稿を読む時間にあてた。

今週は、休み明け早々小言みたいな話になるが、大切な内容ではあるのでどうぞお許しください。ちなみにこれは最近僕に原稿を提出した方々だけではなく、多くの会員の皆さんへのメッセージです。

率直に言って、小説の内容や描写の上手い下手以前に、乱雑な原稿が散見される。遊びに来いと部屋に招かれワインを1本持って出かけたら、部屋は散らかり放題でどこに座れば良いのだという状態である、と表現したら良いだろうか。

小説の原稿にも書式と言うものがあり、これをきっちり守らなければならない。

「俺は自由に書くんだ!」

了解、その意気やよし。

しかし、誰にでも読める日本語で書くことが前提であり、象形文字で書くわけではない。

ところで、僕の部屋は乱雑そのものである。朝起きてまずすることは、メガネを探すことだ。

小物を入れるタンスを、僕は自らぐちゃぐちゃ箱と命名した。確かに引き出しはしまっているが、何かを探し出す時には大変だ。必要なケーブルやホッチキスがどこにあるのか見つけるのは至難の業である。

子供の頃、亡くなった母親が僕に付けたニックネームは「蓋なしケン」というものだ。

歯磨きのチューブ、ドリンクの瓶、糊やペットの餌の瓶まで、一度開けた蓋を絶対に閉めず、いつの間にか蓋が紛失している。

いやぁ、うまいことを言うものだ。

さらに言えば、本来愛し合い共に生涯を過ごすべきソックスの右と左が、バラバラになってしまう。片方だけになったソックスを集めて伴侶を探すのだが、不思議なことに何足かは孤立したままなのだ。

なあ、青のストライプのおまえ、どこに隠れているんだ?

僕はいつからか、同じ柄のソックスを何足か買うようになった。これならいくらかパートナーの行方不明を防げるというものだ。

これが僕の現実である。

しかし、自慢ではないが、原稿の方はきちんと整理整頓されている。この部屋の住人の原稿かよと読んだ人が呆れるくらいちゃんとしている──はずだ。

その落差に唖然とさせられると言った人がいた。

誤字や打ち間違いは編集者が直してくれるのだから気にしない、と言った友達の批評家がいた。編集者として彼の書き下ろしの批評を作った時、完成原稿であるにも関わらず表題がついていない。

「タイトルは?」

そう尋ねると、

「任せる。適当につけておいて」という返事。

無頼を気取っているのだろうが、これは大きな勘違いである。

言語と言うものは、混沌とした世界を整理整頓しひとつの形を作っていく機能を持っている。つまり、一本の小説を書くということは、カオスそのものである自分自身の現実を整理整頓することなのだ。

小説を書けば書くほど、乱雑だった「私」という名の現象が整理整頓されていく──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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