物語における「敵」と「偽敵」について 2 山川健一

主人公にとっての「敵」と「偽敵」の存在とは何だろうか──

 

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「私」物語化計画 2021年11月5日

特別公開:物語における「敵」と「偽敵」について 2 山川健一

先日行った物語化計画ナイトカフェ(Zoomによるオンラインミーティング)で『「私」物語化計画』会員Eさんの作品のことが話題になり、「衝撃的だった」と感想を述べた人がいた。

 

このクライムノベルは老齢に差し掛かった女性が主人公なのだが、作者のEさんは文芸学科時代の僕のゼミ生なので、25歳とか26歳ぐらいで、そのことを知った人達がさらに驚いていた。

今週はその問題の作品をテキストに、「敵」と「偽敵」という視点を考察しながら、構造分析しようと思う。

 

【「起」 欠落/欠如の存在、旅立ち セパレーション】

この小説は、キンモクセイの香りから始まる。

── 中略 (運営事務局注:新人賞応募作品のためWebでは非公開とさせていただきます)──

キンモクセイの香りを扱う小説は案外と多い。そういう意味では凡庸なのだが、最初からどんでん返し、力学の逆転がある。

すぐに、こう続く。

── 中略 ──

この嗅覚は作品の全体の縦糸になっている。

キミ代は鼻がよく利いた──この過剰な嗅覚は不気味でもあり、明確に冒頭の「欠落」を表現している。過剰であることは、欠損しているのとイコールなのだ。これは重要なことだ。

すぐにこう続く。

── 中略 ──

20代の女性が、よくこんな場面を書けるなと僕は感心する。この直後に、若い男である久保直也が登場する。この対比もいい。アパートに越してきて半年経っても直也は心を開かない。

キミ代は妻として、また母としてそんなに裕福ではない家庭を支えて来たのだが、二十三回目の結婚記念日の次の日に夫は倒れ、数ヶ月後に亡くなった。

直也が自転車を倒してしまったことで、二人の関係が近づく。直也は倒れているたくさんの自転車を矢継ぎ早に起こす。冷えた空気が漂う駐輪場で、四十も年の違う男が黙々と自転車を立てていくのを、キミ代は眺めるのだ。ちなみに、キミ代は六十過ぎである。

── 中略 ──

ここまでが、物語の「起」の部分である。

 

【「承」 通過儀礼 イニシエーション】

大学に通っている久保直也は、タンスの上の写真立てを見る。キミ代の息子が小学校に上がったばかりの時に写真屋で撮った集合写真が飾ってある。若い直也が、キミ代に母性を感じる──その伏線である。

それから二人の距離が一気に縮まっていく。

キミ代は──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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