物語における「敵」と「偽敵」について 1 山川健一

小説を書こうとする人は、作品の中で悪を創造しなければならないのだ──

 

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「私」物語化計画 2021年10月29日

特別公開:物語における「敵」と「偽敵」について 1 山川健一

【日本には大きな穴が開いてしまった】

今週末には衆議院選挙がある。どういう結果になるかわからないが、コロナが猛威をふるった数ヶ月前、救急車を呼んでも来てもらえず、多くの人々が自宅に放置されていた時点で、この国では国家というものが崩壊していたのだ。

税金を支払い、健康保険料を支払い、生命の危機に陥ったら医療機関に診てもらえる権利を僕らは有しているにもかかわらず、自宅に放置されたのだ。

それで多くの人たちが亡くなった。

その時、日本という国家は機能不全に陥っていた。

今は感染状況が落ち着いたが、年内に第6波が来る。必ず来る。選挙があっても、今とほぼ変わらない日常が僕らを待ち受けているに違いない。つまり国家がない状況を、政治の側から切り捨てられそうな僕らは生き延びていかなければならない。

日本には大きな穴が開いてしまった。

経済的な、精神的な、肉体的な、その膨大な空白をどうすればいいのか。

結局のところ、古くなった物語の枠組み──立身出世とか勧善懲悪とか──を急いでアップデートし、強靭化するしかない。自分が生きているこの狭い小さな世界を物語化出来ないと、僕らの不安は消えることがない。

しかもこの作業は、急いでやらなければならない。

急いで信頼に値する物語の枠組みを構築し、その向こう側に明日への希望を発見するしかない。それが僕ら個人にとって可能な、最善のサバイバルの方法だ。

急いで物語を構築するための方法のポイントは「敵」の存在を明確にすることだ。

僕はれいわ新選組に頼まれて応援メッセージのビデオを撮ってもらったが、それでもれいわは多くても4議席、もしかしたら山本太郎さんの1議席だけかもしれない。

しかし日本維新の会は議席を3倍にすると言われている。30議席を獲得する勢いだ。公明党を上回る可能性さえある。なんで? それは私見によれば、心優しい山本太郎さんや理性的な立憲民主党が「敵」を作ろうとしないのに対し、維新は年金をもらう高齢者や生活保護に頼らざるを得ない人々を仮想敵にしているからだろう。維新のベーシックインカム政策は、まさに弱者は病院なんかに行かずに死ねと言っているに等しい。月に6万円で生活保護も健康保険もないなら、医療機関に行くことなど出来ないではないか。

ヒトラーはユダヤ人を敵視することによって合法的に権力を掌握したわけだが、維新の躍進が、僕は背筋が凍るように怖い。オウム真理教が台頭して来た頃の薄気味悪さを感じる。

しかし政治という枠組みのなかでは、敵の存在を明確にした維新の方が、敵を作らないために最大限の努力をしているれいわ新選組よりも、地下に溜まりに溜まったマグマの受け皿になりやすいということだろう。山本太郎さんは新自由主義による格差が「敵」だと感じているのだろうが、これでは維新には勝てない。

維新は自民党の補完勢力だとよく言われる。いやいや、そんなものではない。カルト的な維新はやがて瓦解しそうな自民党さえ飲み込んでしまうかもしれない。今回落選した自民の若い政治家達が次は維新に鞍替えして次の選挙で立候補すれば、維新はすぐに巨大な勢力になる。

維新は、八方塞がりの日本のこの状況こそが「敵」なのだと主張している。だが本当は、維新が想定したその敵は本当の「敵」ではなく「偽敵」に過ぎないのだということを、きちんと見抜かなければならないのだと思う。

ここから本題だ。

 

【悪の創造を「敵」と「偽敵」で代用する】

皆さんが提出してくれるプロットの講評で、僕はよく「悪を創造しなければならない」と言う。あなたもそう言われたことがありませんか?

登場人物の全てが善人で、飢えも殺人も革命もない世界では、物語は成立しようがない。だから小説を書こうとする人は、作品の中で悪を創造しなければならないのだ。物語における悪には5つの条件がある──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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