特別公開:短編小説の書き方 山川健一

作家の数だけ、あるいは作品の数だけ短編小説の方法論は存在するだろうが、サンプルとして僕の考える方法論を紹介しておく。

僕の場合、以下の手順で短編小説を構想する──

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「私」物語化計画 2020年5月29日

特別公開:短編小説の書き方 山川健一

『「私」物語化計画』のメンバーで、短篇小説のアンソロジーを作ろうと言う提案を先週した。皆さんから、メールや原稿やプロットが送られてきて、それを順番に読んでいる。返信を出せた方もいるし、まだの方もいる。時間がかかっても順番に全員に返信を書くつもりでいるので、まだの方はしばらくお待ちください。

大学で教えていた頃の教え子たちからも、メールが届く。マジか? ちょっと待て──と思い深夜に電話をかけたりして、仕事が捗らない。ま、僕の仕事なんてどうでもいいのだ。青春の1日のほうがはるかに貴重だ。

若い人たちだけではない。大人たちも、苦境にあえいでいる。未来が見通せない重苦しさと、経済的な不安が、僕らに等しくのしかかっている。

身も蓋もないことを言うようだが(身も蓋もないとは、言い方が直接的過ぎて味わいがないという意味だ。念のため)、僕らの世界はもう元には戻らない。新しい考え方とスタイルを探さなければならない。

ニュー・ノーマル──という言葉が最近使われるようになった。新しい普通。ニュー・スタンダードでもいい。とにかく僕らは綿密に計算し、自分の欲望の量を測り、新しい日々を掴み取らなければならない。

それが、ニュー・ノーマルで、そいつを確立するために僕は短編小説を書くのが最も有効な方法だろうと思うのだ。それであんな提案をした。

長編小説を書くためには、最低でも1年以上の時間が必要だ。下手すると5年かかったりする。それでは間に合わない。詩だったら1時間で書けるかもしれないが、詩は断片であり瞬間のイマジネーションなので、ニュー・ノーマルの設計図にはなりにくい。

短編小説。それが近い未来の自分自身の生活の設計図として、最良だと僕は思う。

 

【短編小説とは何か】

短編小説は、とりわけ日本語で描かれた短編小説は特別な存在だ。シンプルに小説を長さで分類した呼称だが、比較的短い小説を指す。

反対語は長編小説だ。

ごく普通に使う言葉だが、具体的な長さは決まっていない。一般には400字詰めの原稿用紙で10枚から80枚程度の作品が該当するだろう。

その短編のうちで特に短いものを掌編小説、あるいはショートショートと呼ぶこともある。長編小説は300枚以上の作品で、その中間の150枚ほどの長さのものを中編小説と呼ぶこともある。

欧米では長編小説が、Roman、Novelであり、短編小説はNovelette、Short story、それより短いものをConte、と呼んだりする。

つまり長さの問題なのだ。だが実は、「短編小説」には長さの問題を超えた本質的な特徴がある。この特徴をしっかりつかまないと、良い短編は書けない。

僕がこの連載で講義してきたのは、物語論という考え方をベースにしており、これは主に中編以上の長さの小説に当てはまる。

ショートショートというのは、極論すれば星新一さんの開拓したカテゴリーで、彼以外が書くのは不可能だ。どんなに上手に書けたとしても、星新一のエピゴーネンになってしまう。

掌編小説はスケッチみたいなもので、ショートショートのようなオチがない。川端康成や志賀直哉を始め、多くの作家が書いている。掌編小説は基本的には1シーンか2シーンで、描写を積み重ねることにより成立する。つまり、かなり文章が上手でないと無理だ。400字5枚で生と死、エロスと老いを描いたのが日本の掌編小説の名作と言われるもので、ハードルが高いし、僕らのニュー・ノーマルの設計図にはならないだろう。

で、短編小説である。

短編小説の条件を箇条書きにしてみよう。

  1. 短いながらもストーリーがあること。
  2. したがって複数の登場人物が存在すること。
  3. 作品の中でテーマを解決せずに余韻を残すこと。作者自身と読者の両方に、小説が終わった後に考える余地を残すという意味だ。
  4. 全体を通じて、主人公ないしは作者の考え方のベクトル(方向)が示されていること。
  5. 丁寧な文章で書かれていること。情景描写と心理描写を重ね、この2つが渾然一体となり1つの世界が構成されていること。

ショートショートは星新一さんの独壇場なのでここでは触れないことにする。すると短編小説は、長編小説とだけ比較されることになるわけだ。

長編小説にあって短編小説にないものは、物語の多層的な枠組みであり、「思想」のぶつかり合いであり、強靭な意志というものだ。

それなしに、何を書くのか?

端的に言ってしまえば、人間が生きて死んでいくことの悲しみ。エロスの美しさとその儚さ。強靭な意志ではなく、あきらめ。それらを、3つか4つのシーンで構成するのが短編小説だ。

自分で描いた短編を読み返し「これは長編小説にできるな」と思ったことがないだろうか。それは長編小説にできるのではなく、短編小説としては不完全だということだ。長編と短編には、長さを超えた決定的な差異があることを知って欲しい。

 

【短編小説の書き方】

長編小説を書く場合、多くの人がまずプロットを作るだろう──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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