特別公開:江藤淳からCOVID-19の今を生きる知恵を学ぶ 山川健一

関ヶ原の戦い以後、半世紀に及び文学が消えた──

今週は、先週の「思想」「哲学」の話を受けながら、今の僕らが置かれた状況の分析と今後の『「私」物語化計画』のロードマップについて書く。

それでは、江藤淳の一冊の本の話から──。

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「私」物語化計画 2020年5月22日

特別公開:江藤淳からCOVID-19の今を生きる知恵を学ぶ 山川健一

皆さん、先週の呼びかけに応じてメールや原稿を送ってくださりありがとうございます。具体的には紹介しませんが、結構ヘビーな内容もあり、夜中に居住まいを正して読ませていただくことが多かったです。

20代から僕と同世代まで、あるいは男性と女性、さまざまな人たちが一様に真剣に自分の人生に立ち向かっている様子がリアルに伝わってきます。

『「私」物語化計画』のこの連載についての要望もあり、参考にさせていただきます。「とにかく小説を書けるようにしてください」「リベラル・アーツは何を勉強すれば良いのですか。むしろ山川さんが全部講義してください」「コロナ以降の世界を書けというのはよくわかるのですが、具体的にどうすればわかりません。山川さんが新作で具体例を見せてください」など、様々です。

皆さんの要望には全てお答えしたいと思いますが、それらを同時に進行するのは無理なので、順番を考えながらゆっくり行きたいと思います。

今週は、先週の「思想」「哲学」の話を受けながら、今の僕らが置かれた状況の分析と今後の『「私」物語化計画』のロードマップについて書く。

それでは、江藤淳の一冊の本の話から──。

 

【関ヶ原の戦い以後、半世紀に及び文学が消えた】

江藤淳氏はどちらかと言えば保守的な批評家であり、ロック世代の僕はカミュではないが「反抗する人間」なので相容れないようだが、実は僕が『鏡の中のガラスの船』で作家デビューした時に、新聞の文芸時評で最も好意的に評価してくれたのが江藤淳氏と秋山駿氏だった。その後『さよならの挨拶』を評価してくれたのが吉本隆明氏で、この御三方には今思えば大恩がある──のだが、まだ20代の生意気盛りだった僕にはそれがよくわからなかった。

秋山駿氏は大学の恩師で毎週のようにビールを奢ってもらったが、やがて自殺してしまう江藤淳氏とお会いすることはなかった。だが、しばらく文通が続いた。そして的確なアドバイスをいくつもいただいた。

江藤淳氏は手紙で、彼が編集委員をやっている『季刊芸術』という雑誌に小説を書かないかと誘って下さったのだ。

ところが僕は学生時代に「プロディガルサンの戦後/小林秀雄、吉本隆明、江藤淳をめぐって」という批評を『早稲田キャンパス新聞』という自分が編集長を務める学生新聞に発表していた。

この批評で「小林秀雄の仕事を継承しているのは江藤淳ではなく、実は左翼を標榜する吉本隆明のほうだ」みたいなことを書いていた。つまり、それは江藤氏に対して必ずしも好意的な批評ではなかった。

僕はその新聞の記事のコピーをとり、「こんなものを書いてますので」と書き添えて郵送した。江藤氏は怒って、もう二度と連絡はないだろうと思っていた。

ところがすぐに返信が届いた。「あなたの批評はとても面白い。小説ではなく、『季刊芸術』に批評を連載しませんか。あなたさえかまわなければ『プロディガルサンの戦後』を転載させてもらえないでしょうか」と書かれていた。僕は驚き、あんなに酷いことを書いた批評を送ったのに、江藤淳は大物だなと思った。

だが僕は、かつて詩を棄てたように、もう批評は書かないつもりだった。ドストエフスキー論とかランボオ論とか、小林秀雄論、あるいは初期マルクス論なんてのはやめて、小説だけを書いていこうと決めていた。批評を書くなら、ロックだけを素材にしようと思っていた。なにしろ、当時も今もアルバムに付いているライナーノートというのがひどい代物で、ロックのことは俺がちゃんと書かないとなと思っていたのだ。

そんな気持ちを正直に書き記した手紙を、江藤氏に送った。「それでは、いずれどこかでお会いする機会もあるでしょう」という返信を頂いた。

その江藤淳氏も逝ってしまった。新聞の訃報に接し、ぼくは20年以上も前に頂いた手紙のことを思い出したのだった。

思い出話を書くと長くなるのでそろそろ本題に入るが、その江藤淳に『近代以前』(文春学藝ライブラリー https://amzn.to/3gbt6Jd)という本がある。決して彼の代表作ではなく、若い頃書かれた本なのだが、まさに今の僕らに方向を指し示してくれるような内容だ。

関ヶ原の戦い以後、日本文学史には半世紀にも及ぶ空白が出現しているのだ──という衝撃的な書き出だしで始まる。江藤淳は学者ではなく批評家なので、こういうツカミがうまい。

日本を東西に分けた戦は、相手をなぎ払う刀で文学をもなぎ払ってしまったようだと江藤は書く(ここで江藤と呼び捨てにするのは作品について書いているからだ)。

この空白が埋まるには、井原西鶴の『好色一代男』の登場を待つしかなかった。『好色一代男』は一大ポルノグラフィなのだが、それぐらい破天荒でエネルギーのある作品が誕生することで日本文学は復活したのである──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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