特別公開:緊急講義1 クライムノベルは何を達成できるか? 山川健一

次代のプロ作家を育てるオンラインサロン『「私」物語化計画』会員用Facebookグループ内の講義を、一部公開いたします。

『何か事件が起こる。あるいは自分の内面の深いところに「犯行」の動機を探し出したとしよう。それを本心から肯定出来なければ、その小説は書くべきではない。それが、クライムノベルのファーストステップだ。第一歩にして、最大の難関なのである。

時間をかけて、ようやくこのスタートラインに立てた時《「一人で死ね」と言わないで!》という言葉の重さを僕らは理解できるようになるだろう。』

ご興味をお持ちの方は、ぜひオンラインサロンへご参加ください

 

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「私」物語化計画 2019年5月31日

特別公開:緊急講義1 クライムノベルは何を達成できるか? 山川健一

今週は予定を変更して、クライムノベル(犯罪小説)について考えてみたい。この項目は秋以降に扱う予定にしていたのだが、これは言うまでもなく、5月28日に起きた登戸事件の影響を無視できないからだ。

この事件だけではなく、そのわずか数日前に起こった新宿ホスト殺害未遂事件では、血まみれの被害者が横たわるすぐ前で、やはり血に濡れた容疑者の女性が煙草を片手に誰かとスマホで話す写真がネットにアップされ、これがTwitterのタイムラインで流れてきた。

 

今月に入ってからだけでも、5月4日には梅田の女子高生投身自殺の動画が拡散され、23日に新宿ホスト殺害未遂事件があり、25日深夜には名古屋栄で男が鉄パイプと刃物で被害者の男性を嬲り殺しにする動画がSNSで拡散されている。リアルな殺人事件の動画がアップされたわけで、これは驚くべき事態だと言うしかない。

そして28日、登戸の事件では小学生達とその保護者が襲われた。

それらがすべてiPhoneの画面越しに飛び込んでくる。どう考えても今月のSNSは異常事態である。

登戸事件についてはすぐに様々な意見がネット上にアップされた。僕がいちばん的確だと思ったのは、『「私」物語化計画』の会員でもある作家の寮美千子さんの連続ツイートである。

https://twitter.com/ryomichico/status/1133225217747169280

寮さんには奈良少年刑務所での「物語の教室」の受講生らが書いた詩に解説を加えて編纂した『空が青いから白をえらんだのです —奈良少年刑務所詩集』(長崎出版、のち新潮文庫)という本もあり、僕はこの本に感動して東北芸工大の学生達にも勧めたのであったが、その寮さんのこの事件をめぐるスレッドには多くの人達が参加して今も議論が交わされ続けている。

どれも真摯な意見ばかりだと思う。

寮さんはこう書いている。

 

《「一人で死ね」と言わないで! 秋葉原事件・池田小事件も「幸せそうな人々への怨恨」。「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ね」と言う言葉は、追い詰められている人をさらに追い詰める。人間は自分が大事にされていなければ、他者を思いやることはできない。》

 

まったくその通りだと僕は思う。

社会的に追い詰められた人々はおり、だからたった今考えなければならないのだ──本当にその通りだと思う。それは理解出来る。

だが犯人を憎む気持ちを抑えることが出来ずに、そんなの無理だよなと小さな声で呟くもう一人の自分がいる。

たった今、僕らの社会で繰り広げらている「事件」そのものも、細部が伝達されていく様とそのスピードも異常ではないだろうか。

登戸事件の報道を受けて胸騒ぎがおさまらなかったり過呼吸になったいう方が少なからずいらっしゃる。美容関連の著書が多いモトヤマユウコさんから、こんなコメントを頂いた。

 

《山川先生、実は事件の現場が実家のすぐ近くで、本当に腰を抜かしてしまいました。そして子どもたち(大人もですが)がどれほど痛かったか、怖かったかと思ったら、たまらない気持ちになりました。ご冥福をお祈りします。…気をしっかり持ちます。》

 

実は新宿ホスト殺害未遂事件の現場は、『「私」物語化計画』のスクーリングで何度か使った会場に近い。

繊細な人達は畳み掛けるように伝えられる情報──事実関係や憶測や写真や動画に接して、犯罪のコアに無意識裡にシンクロし、精神的なバランスを崩してしまう危険性がある。厭世観に苛まれ、自分が生きていく喜びさえ失いかねない。

やはり会員の1人で、小学生の女の子がいる方からはこんなメールをもらった。

 

《今はフェアキャストというアプリがあって学校から連絡事項が送られてきます。今朝の件もフェアキャストで送られてきました。テレビをつけなくても、今は私はSNSはFacebookとLINEのみにしているけれど、タイムラインのシェアとかで見たくもない記事が目に入って気が滅入ります。先日は可燃ゴミの日に子猫がゴミ袋につめられ中にバルサンがたかれていて、それを発見したとか、本当そういうの疲れるのです。私は繊細じゃないけれど本当疲れるのです。ごはんのお支度します。》

 

江戸時代なら、どこかで心中や惨たらしい殺人事件が起きると、それは時間をかけて伝えられていったのだろう。「こんな事があったそうだよ。人間というの怖いねぇ」というような会話が時間をかけて伝達されていき、やがてそれが人形浄瑠璃や歌舞伎、浮世草子になったりしたのだろう。その過程で人々は悲しみを共有し、それを癒す術を探したのだろう。

江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎作者だった近松門左衛門は『曽根崎心中』『心中二枚絵草紙』、あるいは『心中天網島』などの心中物で人気を博した。

近松作ではないが浮世草子には『心中大鑑』があり、落語の『品川心中』も有名だ。

当時の人形浄瑠璃や歌舞伎、浮世草子は、今で言う新聞でありネット上のコンテンツであり、ノンフィクションノベルでもあったのではないだろうか。

もちろん、井原西鶴の浮世草子も人々の支持を得ていた。

 

新宿のホスト殺人未遂事件については「現代の阿部定だ」というコメントが多いが、1936年(昭和11年)に起きた「阿部定事件」が多くの映画になり、あるいは阿部定の少女時代を描いた織田作之助の「妖婦」(1947年/昭和22年)に昇華し、渡辺淳一の「失楽園」(1997年/平成9年)の下敷きになるには──つまり物語化されるには、10年を超える長い時間が必要だった。

 

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物語は人を癒す、と僕はずっと言ってきた。

しかし、ひとつの物語が形を成すためには……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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