特別公開:工学的構築物としての小説2 書き出しの現象学(自分探しの旅編) 山川健一

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『今回は前回書いた「書き出しの現象学」という考え方を自分探しの旅に応用してみる。自分で言うのもなんだが、この考え方は全く僕のオリジナルで、なかなか果敢な試みになるはずだ。この考え方において最も重要な事は、僕らのストーリーに「偶然」は存在しないということだ。』

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「私」物語化計画 2019年4月26日

特別公開:工学的構築物としての小説2 書き出しの現象学(自分探しの旅編) 山川健一

今回は前回書いた「書き出しの現象学」という考え方を自分探しの旅に応用してみる。
自分で言うのもなんだが、この考え方は全く僕のオリジナルで、なかなか果敢な試みになるはずだ。

この考え方において最も重要な事は、僕らのストーリーに「偶然」は存在しないということだ。ここで言うストーリーとは、あなたが書く小説であり、同時にあなたが今まで生きてきた時間の積み重ねのことでもある。
つまり物語のことである。
小説には情報を圧縮する機能があり、たとえば10年間の出来事を500枚の小説にすることが可能だ。これが1冊の本になれば、10年間に及ぶストーリーを2、3日で読むことができる。
事件が起こり、5人の捜査員が100軒の家の聞き込みを行うとしよう。小説なら1行で済むところだが、映像だと、5人の人間があちこち聞いて回る様子を描写しなければならないから、少なくとも数分は要するだろう。
これでも分かるように、言葉が持つ情報の折りたたみ機能とは驚くべきものだ。それを十分に活用し、小説はソリッドな構造を実現することになる。余計な枝葉は可能な限りカットされ、前回講義した「書き出しの現象学」に基づき、ストーリーが論理的に展開されることになる。
そこでは結果的に、可能な限り「偶然」が排除されることになる。書き出し部分近くで偶然に見えたことも、結末が近くになるにつれ、「あれは仕方がなかったのだ。むしろ必然だったのだ」と読者が思えるようにストーリーが展開していく。それが、プロットがしっかりした小説というものである。
つまり、優れた小説であればあるほど「偶然」は排除されることになる。
さて、ここまでは、物語論を一緒に学んできた皆さんは納得してくださるだろうと思う。ここでさらに一歩踏み込んでみたい。

その前にお断りしておかなければならないが、僕は本当は神秘主義者である。同時に文学主義者でもある。大学の教員をやっているときには、差し障りがありそうなので、自分のそんな側面をなるべく学生には見せないように注意してきた。
不自由だった。
ここではそんな気遣いは要らないので、僕が本当に感じていることをストレートに書くことにする。

文学主義なんて言葉があるかどうか知らないが、要するに、僕は長らく小説というものに哲学や思想や政治以上の価値を求め、小説のコアでは実は神秘が呼吸しているのだと信じている。小説の中心に神秘が配置されている作品が優れた小説だと思うし、そういう小説が僕は好きなのだ。
神秘主義者だと言うと、変人扱いされそうだが、なに、文学の世界では谷崎潤一郎も川端康成も、あの夏目漱石でさえ神秘主義者だったではないか。

500枚の小説に比べ、僕らの人生は……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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