特別公開:ゴールデンウィーク特別編/宇宙の全体が地球上に鳥という生命体を生むことを望んだ 山川健一

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『今週はゴールデンウィークで、旅行に行ったり、自宅でゆっくりされている方々が多いのだろうと思う。かく言う僕も、プールへ行ったり、古い友達と会ったり、のんびり過ごしている。そんな時に小説のスキルについての講義をするのも気が引けるので、今回は特別編として「偶然は存在しない」ということについて書きたいと思う。』

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「私」物語化計画 2019年5月3日

特別公開:ゴールデンウィーク特別編/宇宙の全体が地球上に鳥という生命体を生むことを望んだ 山川健一

今週はゴールデンウィークで、旅行に行ったり、自宅でゆっくりされている方々が多いのだろうと思う。かく言う僕も、プールへ行ったり、古い友達と会ったり、のんびり過ごしている。そんな時に小説のスキルについての講義をするのも気が引けるので、今回は特別編として「偶然は存在しない」ということについて書きたいと思う。

宇宙について思いを馳せてみよう。

この宇宙に地球が誕生したのは、およそ46億年前のことだ。
無数の惑星が存在する中、岩石惑星は非常に珍しい星である。その中でも太陽やその他の惑星との距離が絶妙で、生物が誕生する環境が整った僕らの母なる地球は奇跡のような惑星である。

そもそもビッグバンで生み出された物質が実際よりも10億分の1だけ多かったとしたら、時空は風船のように湾曲していただろうし、反対に10億分の1だけ少なかったとしたら馬の鞍のように湾曲していただろう。
宇宙が今のように平坦なのは、奇跡的な確率の上に成り立っているのである。
初期宇宙の膨張速度が10億分の1だけ速かったとしたら、宇宙はあまりにも高速で広がり低温の希薄な気体しか生み出せなかったろう。反対に10億分の1だけ遅かったとしたら、生まれたその瞬間に崩壊していただろう。
それにしてもあのビッグバンの際、誰がそんな神業(!)のような微調整をやってのけたのだろうか?

生命の誕生とその進化にしてもそうだ。

僕らが生命を営むことが可能な地球のような星が誕生する確率は一体どれくらなのか?
これは有名なたとえ話だが、その確率は「25mプールに時計の部品を投げ込み水流だけで時計が組み上がる確率」と同じだと言われている。

最初の生命が誕生したのは約38億年前だと推定されているが、地球に生命が誕生する確率は10の4万乗分の1と言われている。
奇跡に近い確率と言うほかない。
これは偶然なのか?
僕らはありえない偶然によって、この母なる地球で呼吸しているのだろうか?
いや偶然ではなく、何者か(つまり創造主)の大いなる意思によってこれらは導かれてきたのだと考えるならば、僕らは「神」の存在を受け入れざるを得ない。

ダーウィンの流れをくむ進化論者のリチャード・ドーキンスは『ブラインド・ウォッチメイカー 自然淘汰は偶然か?』の中で敢然とそんな神に反抗している。
突然変異と自然選択だけで進化は起きるのだ、つまり進化とはBlind watch maker(盲目で無目的な時計職人)なのだと論じ、反ダーウィン論に真っ向から反論している。
「猿にタイプライターを叩かせてシェイクスピアの作品が生まれるのか?」という典型的な反ダーウィン論に対して、「莫大な時間のレンジで累積淘汰が進めば起こりうるのだ」と言い切っている。
これにはもちろん反論もある。
もしもダーウィンやその後のネオ・ダーウィン主義(たとえばドーキンスなど)が指摘する通り、遺伝子がランダムに変異して生命体が進化するのならば、遺伝子の無数の配列を試してみる必要があり、地球でこれまでに経過した時間では人類の誕生にはどう考えても足りないことになる──と主張する科学者達が登場しているのだ。
そうすると、遺伝子が変異する諸要素は高度に調整されており、ある方向性を持った進化が継続してきたと考えなければならなくなる。

リチャード・ドーキンスは『ジーンリッチの復讐』というSF長編小説を書いた頃の僕にとってヒーローで、日本語で読めるものは全部読んだ。ドーキンスが否定されると僕は少しばかり動揺してしまう。
ドーキンスは、アメリカ南部などに多い保守的で宗教的な進化論を一切認めない人々に反論しているのだろうと思う。それにしても「ある方向性を持った進化が継続してきた」という考え方には説得力がある。

アーヴィン・ラズロという人がいる。世界賢人会議「ブダペストクラブ」を主宰している物理学者であり、同時に哲学者でもあり音楽家でもある。1932年にハンガリーで生まれ、今はイタリア在住だそうだ。このブダペストクラブには、ダライ・ラマ法王、ジェーン・グドール(霊長類学者)、アーサー・C・クラーク(作家)、ミハエル・ゴルバチョフ(元ソヴィエト大統領)、ピーター・ガブリエル(ミュージシャン)など、ノーベル平和賞受賞者を含む四十人にのぼる世界の賢人達が参加し、未来への提言を行っている。
そのアーヴィン・ラズロの『生ける宇宙』(日本教文社)で紹介されていた話なのだが、アメリカのオークリッジ国立研究所が行った放射性同位元素分析によれば、生命体を構成する原子の99パーセントが1年間で入れ替わるのだそうだ。
だが、あなたやぼくは1年前とほぼ同じ人間である。考えてみれば不思議な話ではないか。
この「私」という秩序を維持しつづけているものは、それではいったい何なのだろうか?
アーヴィン・ラズロによれば、宇宙もまた、物質がでたらめに分散して銀河や惑星や恒星が出来上がった無秩序なものではなく、包括的な大きなシステムでありネットワークなのだそうだ。
生命体もひとつの包括的な大きなシステムでありネットワークだ。宇宙がひとつの包括的な総合体であるのと同じである。
ここで、ぼくはどうしても次のように推論する欲求を抑えることができないのだ。
生命体も宇宙もそれぞれが包括的なひとつの意味のあるシステムであるとするならば、宇宙と生命体もなにかの一貫性を持って結びついているのではないだろうか──という推論だ。

ところで僕はダーウィンの進化論を自分の世界観の根底にすえてきたようなところがあり、アーヴィン・ラズロの『生ける宇宙』の次の箇所を読んだとき、自己崩壊してしまいそうな恐怖を味わったものだった。

《進化がかなり進んだ段階においても……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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