特別公開:「私」を構造分析すると、意識的な自分以外にインナー・チャイルドとハイアー・セルフの領域がある──CSN&Yを聴きながら 山川健一
小説執筆に必要なキャラクター・メイキングは、登場人物と作者自身(自分)の両方について行わなければならない──
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「私」物語化計画 2021年7月16日
特別公開:「私」を構造分析すると、意識的な自分以外にインナー・チャイルドとハイアー・セルフの領域がある──CSN&Yを聴きながら 山川健一
大学のシラバスふうですが、今週の講義の到達目標を書きます。
- 小説執筆に必要なキャラクター・メイキングは、登場人物と作者自身(自分)の両方について行わなければならないことを理解する。
- 同じストーリーでも、作者によって作品は変わってくる。これは「私」のデザインの差によるのものだということを理解する。
- 「私」を構造分析すると、意識的な自分以外にインナー・チャイルドとハイアー・セルフの領域があることを知る。
なぜこんな書き方をしたかと言うと、今週の話は多分あちこちに脱線するので、当初の目的地を見失わないようにするためだ。
ということで、スタートしよう。
小説を書いて担当編集者に渡すと、多くの場合「もっと自分自身を見つめてください」と言われる。純文学でもエンターテインメントでもこれは同じである。
この場合の「自分」「自己」「私」というのは、インナー・チャイルドのことだと思っていい。先週からの話の続きで言うならば、インナー・チャイルドとワンダー・チャイルドを統合した存在だ。
しかし、これは僕の場合だけではないと思うのだが、子供の自分を思い出すのはなかなかに辛い場合もある。逃げ道はないのか──と。僕はそんな時にはイージーに考える。
逃げ道はある。
それがハイアー・セルフである。
【いきなりロックに脱線しますが、重要な脱線です】
理屈っぽい説明の前に、この曲を聴いてください。これがロック世代の僕らのハイアー・セルフだ。
ウェストコーストロックの最高傑作のひとつ、Crosby, Stills, Nash & Young(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)の”Woodstock”である。
この曲を書いたのはCSN&Yのメンバーではなく、グラハム・ナッシュの当時の恋人だったジョニ・ミッチェルである。スケジュールの都合で出演できなかった彼女は、ウッドストックに参加したナッシュからコンサートの様子を聞いて書いた。
1969年の夏、ニューヨークに近いウッドストックで開催されたこのあまりにも有名な野外のフリーコンサートに参加したのは、ジョーン・バエズ、サンタナ、ジャニス・ジョプリン、ジョー・コッカー、ザ・バンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、グレイトフル・デッド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、ザ・フー、ジョニー・ウィンター、ジェファーソン・エアプレーン、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングといった人達だ。
べトナム反戦運動、公民権運動、女性解放運動、環境保護運動などが相次いで起こったラヴ&ピースの1960年代を締め括る輝かしい象徴である。
大きな問題は起こらずに済んだが、小さな犯罪やドラッグの横行が報告され、コンサートが終わった後には大量のゴミが残された。しかしそれでも、翌年映画になった『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』のエンディングにも使用されたCSN&Yのこの曲は、僕らの希望が形になった楽曲なのだと思う。
CSN&Yのバージョンはグループの2ndアルバム『デジャ・ヴ(Déjà Vu)』に収録され、ジョニ・ミッチェル本人のバージョンよりも1カ月早くリリースされた。アルバム『デジャ・ヴ』は全米1位、全英5位になった。「ウッドストック」もシングルカットされ、全米11位になった。僕らがこのアルバムを聴いたのは1970年のことである───続きはオンラインサロンでご覧ください)