特別公開:工学的構築物としての小説1 書き出しの現象学(作家へのロードマップ編) 山川健一

次代のプロ作家を育てるオンラインサロン『「私」物語化計画』会員用Facebookグループ内の講義を、一部公開いたします。

『小説というのは何を書いてもいい自由な芸術だ。どこから書いてもいいし、どんな展開がその後待っていても構わない。インモラル──背徳的な世界を描くのももちろん可能である。しかし、最初の1行を書くと、2行目は1行目に拘束されることになる。』

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「私」物語化計画 2019年4月19日

特別公開:工学的構築物としての小説 1書き出しの現象学(作家へのロードマップ編) 山川健一

今回から再び連続して続く講義に戻ります。なるべくなら、飛ばさないで順番に読んでください。

小説というのは何を書いてもいい自由な芸術だ。
どこから書いてもいいし、どんな展開がその後待っていても構わない。インモラル──背徳的な世界を描くのももちろん可能である。

しかし、最初の1行を書くと、2行目は1行目に拘束されることになる。2行目で、1行目と全く関係のないことを書くのは「工学的な間違い」なのである。
広い草原に、一軒の家がぽつんと立っている。それを空からの視点(神の視点)で描いてもいい。レンズがクローズアップしていき、庭で少女が花を見ている、その小さなブラウスの背中を描写する。
現実ではありえない、そんな展開で小説をスタートさせても良い。
しかしその次のシーンで、全く関係のない事は書けないのである。草原の中にたった一軒の家の向こうには断崖絶壁があり、その向こうには真っ青な海が広がっている──というように展開させていかなければならない。

縁側に並んで座った老夫婦が、色づいてきた柿の実を眺めているシーンから書くとする。その次の行は一行目を受けなければならないので、たとえば隣の住人が和菓子を持ってやってきた、というような展開にならざるを得ない。男は女を抱き寄せ強引に唇を──という展開は無理なのだ。

小説には「芸術的なエモーションの発露」という側面と「工学的な構築物」と言う側面がある。
1行目は、繰り返すが、何を書いても良い。それは作家にとっての芸術的な側面の表現であるからだ。しかし1行目を書いてしまった後は、丹念に工学的な構築物を制作していくつもりで、その作品が持っている論理を決して裏切らないように書き進めなければならない。
そのようにして一章ができあがる。二章は一章に記された言葉の全てに拘束されることになる。五章は四章までのすべての言語に拘束されることになる。

やがて作家は、長い小説の最後の1行を書き記すことになる。
最終行は、それまでに書いたすべての言語に導かれ、それ以外にはないという1行になるはずなのだ。
作品を締めくくる最後の言葉は、作家が書くわけではない。作品自身が最後の1行を決定するのである。

小説を書くという行為は、任意の1行からスタートし、これ以外にはないと言う必然の1行に辿り着くための長い旅なのだと言える。

その作品が面白いかどうかという事は別にして、あるいは好きか嫌いかという事は別にして、プロの作家の作品はそこがきちんとしている。
どこにもない世界のことを書いたフィクションなのに、間違いなんてあるのか。そんなふうに考える人が多いだろうと思う。残念ながら小説が「工学的な構築物」である以上、間違いは許されないのだ。

これは実は文学だけの話ではない。
あらゆる……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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