特別公開:いよいよ旅立ちだ! 5「隠された父の発見」 補足編 山川健一
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『前回の「隠された父の発見」は物語論において最も重要なファクターだと僕は思っているのだが、「よくわからなかった」と言うメールを何通か頂き、もう一度この問題について考えてみることにしたい。』
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「私」物語化計画 2019年3月1日
特別公開:いよいよ旅立ちだ! 5「隠された父の発見」 補足編 山川健一
前回の「隠された父の発見」は物語論において最も重要なファクターだと僕は思っているのだが、「よくわからなかった」と言うメールを何通か頂き、もう一度この問題について考えてみることにしたい。
ロジックで説明しても伝わりづらいのかもしれないので、今回は講義テキストと言うよりも、エッセイを書くつもりで語りたいと思います。
まず、分かりづらいと書いてくれたメールを2通紹介します。最初のメールは20代の青年からのものだ。
《父というものが主人公にとってどんな存在でなければならないか、それが物語にどう寄与するかという部分がよく分かりませんでした。
あと、「人格円満な父ではいけない」→「人格円満な父も主人公より先に死ぬ」→「隠された父の発見とは悲しみの発見である」というところの話のつながりがよくわかりませんでした。》
物語というものは、「平和な世界で皆が幸福に暮らしている」という世界を描いても感動は少ない。
つまり感動がある物語というものは、欠落があり、主人公は外的な圧力によってやむなく旅立ち、様々な試練を克服し、終盤で強力な敵と戦い、これを倒して元の日常生活に帰還する──という構造を持っている。
この中の強大な敵と言うのが、とりもなおさず「父」という存在なのである。
現代ではかなりその形が変わってきているが、かつては一般的に父とは外に出てお金を稼ぐ存在だった。家族はそのお金で自分たちの生活を支えている。
父は外(社会)へ出てお金を稼いでくる。だから「私」にとって血を分けた親であると同時に、外からやってくるエイリアンのようでもあるだろう。ヒーローにも似ているようだし、会社の陰険な上司に似ているようでもある。
ただし、ナラトロジーというものは小説を書くための方法ではない、ということを忘れてはいけない。
すでに、過去に書かれた多くの神話や昔話、物語の構造を分析したロジックがナラトロジー──物語論というものだ。
したがってあなたが小説を書こうとするとき、ナラトロジーはあくまでも「地図」みたいなもので、リアルな街は、もちろんあなた自身の中にある。
というふうに考えると、「父というものが主人公にとってどんな存在でなければならないか」というのは発想が逆転しているということに気がついてもらえるのではないだろうか。
リアルなあなた自身の中の街で、父とはどのような存在なのか。
そちらが先だ。それを描くときに、地図を参考にすればいいわけだ。
人間の存在は多重構造になっており、「父」にももちろん、様々な側面がある。
誰かにとってはいい友人であり、誰かにとっては有能な部下あるいは信頼できる上司であり、誰かにとっては愛すべき夫であるかもしれない。
友人や会社のメンバーや妻は彼を超える必要は無い。ただ彼の息子や娘、すなわち子供たちだけが彼を超える必要があるのだ。
何故か? ……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)