『カラマーゾフの兄弟』から学ぶこと 08 キャラクター・メイキングの雛形として活用する 山川健一

──『カラマーゾフの兄弟』の登場人物を、どんなふうに切り取って自分の作品に投影させることができるか──

 

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2024年3月8日

特別公開:『カラマーゾフの兄弟』から学ぶこと 08 キャラクター・メイキングの雛形として活用する 山川健一

小説を書くためには、周囲をよく観察しなければならない。とりわけ人間を観察する目を養うことが大事である。写真家は例えば花の写真を撮る時に、「花という存在」をいただいているのである。

同様に僕らが周囲の人間を観察し、彼ないし彼女をモデルに作品を書く時、彼らの存在をいただいているのである。

これは、モデル小説に限らない。

友人や、両親や、恋人のことを一部でも参考に書くということは、彼らの存在をいただいているわけだ。

小説は、人間について書いていくものなので人間観察は不可欠であり、そんな時、観察対象の人たちへのリスペクトを忘れてはならない。

犯罪小説も同じで、極悪非道の犯罪者を書く時でも、彼らのどこか一点を愛することができなければ、作品を書く事は不可能なのである。

かつて三島由紀夫が『不道徳教育講座』で、泥棒は物を盗むだけだが、小説家は人間を盗むのだから質が悪いというようなことを書いていて、なるほどなと思ったものだった。

優れた小説家ほど、鮮やかな手つきで、人間の存在を丸ごと盗むのである。

僕自身も、複数の作家に「盗まれた」ことがある。要するに、僕をモデルに何人かの作家が作品を書いたのである。それを読んだ時、「太平洋のように大きな俺という男を、芦ノ湖程度に書きやがって」と思ったものであった──というのはもちろん冗談です。

しかし確認できただけでも4人のメジャーな作家が僕とおぼしき男を書いていて、シンプルだから書きやすいのかなと反省したものである。

父親や母親との関係で苦しんだ人たちが、彼らが亡くなった後ならこのことをかける、とよく僕に告白する。僕自身も同じで、父親が他界した後『老いた兎は眠るように逝く』という父親をモデルにした小説を書くことができたのであった。

周囲の誰かを色濃く反映した人物を造形する、ということもあるだろう。しかし、そうではなく、彼らの存在の一部を借りてくる場合も多い。彼らの癖や容貌や思想や口癖や、ジョークのセンスや、そんな一部分を借りてくる場合も多いだろう。

現実に存在する人間を観察する中からしか僕らはキャラクターを造形することはできないのである。しかしこの考え方を敷衍すると、キャラクター・メイキングの可能性は大きく広がる。

可能性をどこへ広げれば良いのだろうか。

過去の小説や映画やポップソングの歌詞などへ広げれば良いのである。

ここでドストエフスキーの話だ。あれだけの長さの長編に、多くの登場人物がおりそれぞれが個性的で、しかもお互いに強い関係性を切り結んでいる。だから、『カラマーゾフの兄弟』は面白いわけだが、隅々までよく読み込んでいけば、現実の友人をモデルに書くように、小説の登場人物をモデルに作品を書くことだって可能なのである。

今週は『カラマーゾフの兄弟』の登場人物を、どんなふうに切り取って自分の作品に投影させることができるか、その可能性について考えてみたい。

まず、現在の日本で小説を書く場合、最初に参考になりそうな主人公像は────続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

 

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