小説を完成させるためにはカタルシスが必要だ 02 おやすみなさい、鮎川誠さん(小説の作法) 山川健一

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「私」物語化計画 2023年2月3日

特別公開:小説を完成させるためにはカタルシスが必要だ 02 おやすみなさい、鮎川誠さん(小説の作法) 山川健一

シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんが、1月29日午前5時47分に膵臓がんのため永眠した。

信じられない。74歳で、僕の5つ年上だった。2015年に亡くなったシーナと僕は同い年だった。

「みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行しました」と事務所は説明している。

昨年6月に「THE SHOJIMARU」でライブがあった時に、章二丸も友達だし行くつもりだったのだが、身近にCOVID-19の陽性者が出たので、遠慮した。癌の告知をされたのが5月だったそうなので、その時は既に病魔と闘っていたのだ。

行っておけばよかった──。

深い悲しみが、少しずつやって来て、長く続くだろう。

鮎川誠の死を知らされてから、他のことはほとんど考えらない。誰もが死ぬ。それは仕方のないことだ。しかし理不尽だ。鮎川誠はレジェンドと絶賛されるあのギターを弾くために、どれほどの練習を重ねたのだろうか。どんな楽器もそうだが、一度到達したそのレベルを維持するだけのためにでも、毎日練習しなければならない。練習して、上達し、前人未到の領域に踏み込み、それでも練習し続ける。

「ロックする」と人は簡単に言うが、そいつは並大抵の努力ではないのである。だが死んでしまえば、「無」だ。努力して表現力は上がっていき──だが結末が「無」だとわかっている僕らの人生とは何だろう? 何のために努力しなければならないのだろうか。

そんなことを考えずには、いられない。

僕らの人生に意味はあるのだろうか。シーナと鮎川誠の人生に意味はあったのだろうか。意味は、おそらく過程にしかなく、そいつを見出すのは残された人間の役割なのかもしれない。

鮎川誠の名前で呼ばれる物語は終わりを告げた。

物語の結末にはカタルシスがなければならない。そのカタルシスすなわち広がりを見い出すのは、僕らの側の役目なのだ。10人のファンが10通りの広がりを発見しそれを誰かに伝えることによって、ロックという幻想の領域で、鮎川誠は生き続ける。

土曜日が葬儀だが、それが終わったら、僕も彼の果たした「意味」について考え始めようと思っている。

【「ジェノバの夜」にカタルシスを付与すると小説になる】

誰もの人生の結末に、カタルシスがなければならないのと同じように、すべての小説にもカタルシスが必要だ。先週に引き続き、そのことについて書く。

カタルシスとは──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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