「私」分割式キャラクターメイキングの方法 1 狂気の種子とレモン効果──梶井基次郎「檸檬」をテキストに 山川健一
猛り狂った魂を檸檬ような物体で象徴化すること──
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「私」物語化計画 2022年5月6日
特別公開:「私」分割式キャラクターメイキングの方法 1 狂気の種子とレモン効果──梶井基次郎「檸檬」をテキストに 山川健一
今週から、プロットに頼り過ぎないキャラクターメイキングを実現し、少しずつ作品を書き進める「分割式キャラクターメイキングの方法」について書こうと思う。
なぜ「私」を分割するのかと言うと、もちろんキャラクターを作るためなのだが、それ以上に、僕ら自身が生き延びるために必要だからそうするのだ。
物語に登場するすべてのキャラクターは、多かれ少なかれ作者の分身である。さらに言うならば、登場人物だけではなく作品の思想や哲学やイメージなども作者の分身なのである。ここに、文学という方法の最も深い秘密が隠されているのである。
最初にお断りしておくが、僕はこの原稿を設計図なしに──つまりプロットなしに、試論として書いていくつもりだ。
地図のない旅である。
どんな場所に辿り着くのだろうか?
願わくは、それが陽光が照らす明るい場所でありますように!
【猛り狂った魂を檸檬ような物体で象徴化すること】
あなたのコアには狂気の種子がある。
「えーっ」などと誤魔化さないように。
あなたはそのことに、とっくに気がついているはずだ。狂ったこの世界のパーツとして存在しているあなたの胸の奥にも、狂気の種子は眠っているはずだ。
その狂気とは精神医学的な意味合いのものではなく、いわば文学的なカテゴリーに存在する精神の状態のことだ。
梶井基次郎は、それを「檸檬」だと言った。20篇余りの小品を書き、友人達の力添えで処女作品集『檸檬』を刊行してまもなく、肺結核により31歳の若さで亡くなった小説家である。
その『檸檬』の書き出しはこうである。
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか──酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
梶井基次郎『檸檬』
梶井基次郎がここで書いている〈不吉な塊〉というのが、僕が言う〈狂気の種子〉である。僕もそれを、高校二年生の時に感じた。自分の中心には不吉な魂があり、だから何をやってもうまくいかないのだと思った。俺は狂ってしまったのかもしれないと本気で心配した。
それにしても、梶井基次郎の不吉な魂というものは、17歳の僕とは比べようもなく壮絶なものだったようだ。
酒に酔っての乱行が度を越えることもしばしばで、京都にいた三高時代は甘栗屋の釜に牛肉を投げ込み、親爺に追い駆けられたり、中華そば屋の屋台をひっくり返したり、乱暴狼藉を繰り返した。
恋には奥手で、モテなかったそうだ。
放蕩の借金で下宿代が滞り、取り立てに追われて友人の下宿を転々とし、清滝の「桝屋」で泉水に碁盤を放り投げ、自分も飛び込んで鯉を追いかけ、店から出入り禁止をくらった。
円山公園の湯どうふ屋で騒ぎ、巡査に捕まり、四つん這いになり犬の鳴き真似をさせられた。当時京都で有名だった兵隊竹という無頼漢ヤクザとカフェーで喧嘩をし、左の頬をビール瓶でなぐられ、怪我をして失神した。
いや、いや、いや、僕も無茶はしたと思うが、ここまでではない。後に梶井基次郎を絶賛することになる小林秀雄も酒癖は悪かったみたいだが、これほどではない。
この頃、基次郎は──続きはオンラインサロンでご覧ください)