特別公開:キャラクターメイキングには「思想」が必要である 山川健一
今週書きたいポイントは2つ。1つは、「主人公」には、飛行機が離陸するようなテイクオフのポイントが必要だということだ。もう1つは──
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「私」物語化計画 2020年12月4日
特別公開:キャラクターメイキングには「思想」が必要である 山川健一
あちこち脱線してしまったが、キャラクターメイキングの話に戻る。今週書きたいポイントは2つ。
1つは、「主人公」には、飛行機が離陸するようなテイクオフのポイントが必要だということだ。もう1つは長編と短編ではキャラクターメイキングの方法が全く異なるということである。
【主人公を離陸させるために必要な思想】
小説はフィクションなので、主人公は「私」とイコールではない。犯罪小説を書いた作家は殺人犯ではないし、ファンタジー小説を書いた作家が、異世界を旅したわけでもない。
しかし、もしも作家自身の「私」と小説の主人公のキャラクターが紐付けられていないとすれば、それは小説ではなく単なるお話になってしまう。小説の主人公たちには、その胸の底に作家自身の「私」のフレイバーがなければならない。
これは矛盾である。
小説を書く上で、この問題は非常に本質的で難しい。それを解決する方法が「私」を「物語化」するということなのだと僕は思っている。長い連載で、ようやくここに辿り着いた。
小説を書く「私」を物語化するためには、意図的にポイントを設定する必要がある。それはさなぎが脱皮して蝶になるような、作家自身の「私」が主人公として羽ばたく瞬間である。これを設定しなければならない。
この作業を、プロット作成の段階で行わなければならない。主人公が作家を超えて行くポイントの設定である。
三島由紀夫没後50年ということで、あちこちで三島の特集が組まれている。新しい情報は何もなく、中にはトンチンカンなものもあるが、個人的には三島由紀夫が楯の会の隊員に対して真摯で愛情に溢れていたという事実が新しい発見だった。
三島由紀夫の最後の長編四部作、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻からなる『豊穣の海』の主人公達は、明らかに作家自身の分身でありながら、「転生」するという一点にかけてテイクオフ、現実の作家から離陸している。「転生」という概念・思想を導入することで物語化を実現しているわけだ。
三島由紀夫の小説は骨太で構造がはっきりしているので、こうした仕組みが分かりやすい。『豊穣の海』は『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で、その最終巻の入稿日に、作者である三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した。
誰もが言うことだろうが、三島は文学の世界で「私」の物語化を実現するだけでは飽きたらず、現実の世界でも物語化を図った。それがあの三島事件だったのだろうと思う。
この時、「楯の会の隊員に対して真摯で愛情に溢れていた」自分を物語化する必要があったのだと考えると、胸が痛む。三島は死の直前までオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の演出も行っていたわけだが、血が滴る預言者ヨカナーンの生首と自分の生首のイメージを重ねることも苛烈な物語化の試みであったのだろう。
三島由紀夫の話になるとコトが大きくなり過ぎてしまうが、あそこまで極端でなくても「私」を小説化するためには物語化のプロセスが必要であり、それには思想が必要なのだ。
この思想とはフロイディズムとかマルキシズムといった思想ではなく、『豊穣の海』における輪廻転生のような考え方のことだ。
たとえばあなたが共依存をテーマに「私」を物語化して小説を書こうとする時、現実の自分の地続きでは主人公はなかなか離陸してくれない。「楯の会の隊員に対して真摯で愛情に溢れていた」三島由紀夫のままでは彼は『豊穣の海』を書くことも割腹自殺することも出来なかった。それと同じことだ。
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