特別公開:僕らがパパ・ユングから受け継ぐもの──集合的無意識がハイアー・セルフなのである 山川健一
集合的無意識を受けいれることが出来れば、あなたは一人ではないということだ。類的な存在として世界を抱きしめることが可能になる──
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「私」物語化計画 2021年7月23日
特別公開:僕らがパパ・ユングから受け継ぐもの──集合的無意識がハイアー・セルフなのである 山川健一
ユングの話は後回しにしようと思い、前回はさらっと触れただけだったが、これがかえって分かりにくかったようで申し訳ありません。CSN&Yの”Woodstock”の方がロック世代にはともかく、若い方々には伝わりづらいかと思っていたら、こちらはよくわかると言うメッセージが多かったです。
むしろユングの方がよくわからない、と言う指摘を受け、今回ちゃんと書きます。
あらかじめ言っておくと、ユングの学説やトランスパーソナル心理学については、「あれは学問とは言えない」という批判があります。僕も東北芸術工科大学では、ユングの集合的無意識までは講義で扱い、しかし集合的無意識を発展させたトランスパーソナル心理学については講義では扱わず、少人数のゼミでだけ紹介した。
トランスパーソナル心理学とは、文字通り個人を超えた内面的な領域を扱う心理学のことだ。
自己意識が拡大し、より大きな現実とつながる経験をする人は確実に存在する。僕もその一人である。例えば体外離脱体験(Out-of-body experience、OBE)は、自分の肉体から抜け出す世界を体験することだ。
これは自己像幻視の一形態だとされる。
しかし実際に体外離脱を体験すると、これは死後の世界なのか、宇宙空間なのか、母胎への回帰や過去生の重要なイメージなのではないかと感じる。いわば宗教的な、スピリチュアルな経験なのである。
その経験は個人を超えている。すなわちトランスパーソナルな世界なのである。
そんなものはニューエイジ、サブカルの一種だと言う批判があるのも事実だ。しかし、数学と哲学が、物理学と宗教が握手しなければもはや前に進めない僕らの今の現実を考えるならば、トランスパーソナル心理学は有効な一つの仮説なのではないか。「私」という枠組みを超えた他者、人類、生命、地球、自然へと関心を拡大し、共感を探し出そうとする試みがトランスパーソナル心理学なのである。
トランスパーソナル心理学では、個人の悩みの解決を目指すのではなく、人類共通の悩みがあるはずだと考え、ユングの言う集合的無意識を、人類の過去の記憶といえる前個的無意識と人類の未来の可能性を含む超個的無意識に分けて考える。
こうした仮説の元になったのがユングの集合的無意識であり、ま、分岐点だと言えるのではないだろうか。
僕らの目的は心理学で学士号を取得することではなく、「私」を探しそいつを文学作法に組み込もうとすること──続きはオンラインサロンでご覧ください)