特別公開:特別編・長い小説を書くために4 ドラキュラ、ジキル博士とハイド氏、フランケンシュタイン 山川健一
だからこそ悲しみと恐怖は普遍的な小説のテーマなのであり、読者は感情移入しやすい──
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「私」物語化計画 2020年10月16日
特別公開:特別編・長い小説を書くために4 ドラキュラ、ジキル博士とハイド氏、フランケンシュタイン 山川健一
【一定のトーンを維持する】
2回にわたり、ホラー小説について書く。
ホラー、つまり恐怖である。
人間が誰しもその内部に隠し持っている本質的な恐怖を、エンターテインメントに落とし込んだのがホラー小説である。
今週は、恐怖とは何かについて講義します──とは言え僕も手探りですが。
小説は様々な部品によって成立しているわけだが、そのうちのひとつにトーンというものがある。文体や比喩表現やレトリックによって成立する「雰囲気」のようなものだ。曖昧な概念だが、実はこれがとても大切だ。30枚の小説でも500枚の小説でも、全編を通して「トーン」「雰囲気」が統一されていなければならない。
シビアな小説の、あるいはしっとりとした小説の結末部分近くでありがちなのは、アクションが派手になるので、これまでのトーンを裏切り弥次喜多道中のようにドタバタになってしまうパターンだ。ストーリーがどれだけアップダウンしようが構わないのだが、そのときに作品固有のトーンを損なってはならない。
「弥次喜多になってますよ」と僕はよく注意する。
そして、一定のトーンを維持するためには「可能な限り悲しい」か「心底怖い」を目指すのが手っ取り早い。どんなに幸福なシーンを描いたとしても、それは「悲しみ」や「恐怖」の伏線なのである。
なぜ悲しみと恐怖が有効なのか?
それはすべての生き物がやがて死ぬからだ。もちろん愛する者も自分も死ぬ。それは悲しく恐ろしいことだ。だからこそ悲しみと恐怖は普遍的な小説のテーマなのであり、読者は感情移入しやすい。
悲しみは分かりやすいとして、では、恐怖とは何か?
【自己紹介のためのエッセイ】
いきなり脱線します。
今回は書こうとしてるアイテムが3つもあるので、進行に苦慮しておりますが、ご容赦!
恐怖を解き明かす前に、ここで改めて自己紹介をさせてください。オンライン上とはいえ結構長い付き合いになるので、今更自己紹介もないものだが、今回のテーマ「恐怖」と関係することなのでお付き合いください。
僕は鋼の精神力を持つ男だ──と思っている。
もちろんこの性格は生まれ持ったものでもあるだろうが、後天的なロックライクな要素が非常に大きい。恐怖を感じることがないとは言わないし、たまに悪夢を見てうなされることもあるが、意志の力でそれを克服することができる──はずだ。
かつてアメーバブックスで、竹本光晴さんという占い師の方の『月が教えてくれる宿曜占い』という本を刊行させていただいたことがある。宿曜占いは空海の真言密教にも深く関わっているのだが、話が逸れるので割愛。
渋谷のホテルのカフェで、2人で完成をお祝いした。
竹本さんが、編集部の女性たち全員に魔除けのお守りをプレゼントしてくれた。カッターナイフを小さく折って厚紙で包み、念を入れてくれたお守りだ。個人によって込めるパワーが異なるらしく、僕は編集者たちの名前を書いた封筒にお守りを入れた。
ところが僕の分のお守りがない。
「竹本さん、僕の分は?」
彼は笑って答えた。
「山川さんはお守りなんか要りませんよ。魔の方が避けていく。おかしいなと思ったら、片手で肩をさっと払えばそれで大丈夫です」
「そんなこと言わずに僕の分も作ってくださいよ!」
僕は自分の分のお守りをもらえなかった。
かつては歩道で様々な宗教団体が道行く人達を勧誘していたものだが、僕は一度も勧誘されたことがない。目の前の人が声をかけられ、次は俺の番だなと思って歩いて行くとスッと避けられてしまう。
口の悪い友達に言われたものだ。
「どんな神様もお前を救ってはくれないのさ。ま、自力で頑張るんだな」
どうやら自分には鋼の精神力が備わっているらしいと、その頃から僕は感じるようになった。長時間勉強し続けることができる精神力という意味ではなく、恐怖、すなわち魔に落ちない精神力である。
あるいは単に天然で鈍感なだけなのかもしれないと思うこともある。
これまでに何度か神秘体験もしてきたが、それを恐ろしいと感じた事も無い。
こうした僕の個性は、文学をめぐる大学の教員やオンラインサロンを主宰したりするには向いているのだろうと思う。
8年間の大学教授時代に4件の自殺未遂がありその度に病院に駆けつけたりしたが、まったく動揺せずになんとか乗り切ることができた。
4人もその後は元気にやっているようだ。
『「私」物語化計画』は作家志望の皆さんの集団なので、繊細な方が多く、「魔」というものを身近に感じている人が多いのではないかと思う。
小説を書くことは孤独な作業だとつくづく思い知った、というメールをいただいた。
必死で小説を書くことにすがりついているが、本当は怖いというメールもいただいた。
怒りを悲しみに転化しろと山川さんは言うが、そんなこと不可能だというメールをくれた人もいる。
つまり多くの会員の皆さんは、小説の方法論以前に、「私」の問題に向かい合わざるを得ないと言うことだろう。文学的な方法論以前の「私」の問題で悩んでいる方々のメールがこのところ増えている気がする。
そんなわけで、僕は改めて自己紹介風の文章を書いたのだ。僕は鋼の意志を持った男で、どうやら魔も避けていくらしいので、悩みがあったらこれからも遠慮せずにメールを書いてください。天然で鈍感なのかも知れず、したがって的確な返信ができるかどうか甚だ疑問だが、とにかく読ませていただきます。
繰り返すが、僕はタフな男なのでかなり深刻で魔的な話でも大丈夫です。
【恐怖を描くために物語論の「隠された父」をトレースせよ】
ところでこんなメールをいただいた。重要な指摘があるので、一部を引用させて貰います。そしてこのメールから本筋に戻る。
今回のユニット「長い小説を書くために」で先生のおっしゃる「憎しみは長続きしない」について考えました。というか、すぐに「恨みだったら長続きするな」と思ってしまいました。
というのは──
──続きはオンラインサロンでご覧ください)