特別公開:レトリックを身につける1── 「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」 山川健一

今回はレトリックについて書く。

人間の思考は論理がすべてではないし、言語も文法だけではコントロールしきれない。いや、日本語文法の基礎はクリアしている──というのが前提だが、論理と文法の枠組みの外にこそ実は豊かな表現があるのだ。言葉はそういう多彩な機能を持っている。

比喩、逆説、反語、暗示など、レトリックとは実は非常に曖昧なものなのだが、それは小説というものが曖昧だからこそ豊かで美しいということの証左なのかもしれない。

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「私」物語化計画 2020年1月31日

特別公開:レトリックを身につける1── 「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」 山川健一

今回はレトリックについて書く。

人間の思考は論理がすべてではないし、言語も文法だけではコントロールしきれない。いや、日本語文法の基礎はクリアしている──というのが前提だが、論理と文法の枠組みの外にこそ実は豊かな表現があるのだ。言葉はそういう多彩な機能を持っている。

比喩、逆説、反語、暗示など、レトリックとは実は非常に曖昧なものなのだが、それは小説というものが曖昧だからこそ豊かで美しいということの証左なのかもしれない。

 

【越水利江子のレトリック】

まず、『「私」物語化計画』の会員でもある、越水利江子さんのデビュー作品『風のラブソング』の冒頭「ふわりふわり」を読んでみて欲しい。

 

越水利江子『風のラヴソング』(完全版)(講談社)https://amzn.to/2U42SzE

れんげ畑のむこうから、白いレースのパラソルが泳いでくるみたいに見えた。
ふわあり、ふわあり、浮きあがったり、沈んだりしもって、だんだんと近づいてきた。
れんげ畑のうしろは、雲ひとつない、真っ青な空なので、白いパラソルはまいごになった雲のきれはしのようにも見えた。
ぼくと妹の小夜子は、なんだかどきどきしもって白いパラソルをながめよった。
やがて、パラソルの下のれんげ畑から、ふたりがあらわれた。パラソルを持っている女の人と、ハンチングをかぶった黒めがねの大っきいおんちゃんやった。女の人は、大っきいおんちゃんの背にあわせて、パラソルを高くさしあげて歩いてくるので、なんだかパラソルにぶらさがっているようで、白いパラソルは、こんどは、大空をただようパラシュートに見えた。
ふたりはぼくらのそばまできて、立ちどまった。
「父ちゃんはいるん?」
白い夏服の、ほっそりした女の人がいうた。
「おまえが武志か?」

*「~しもって」は四国地方の方言で、「~しながら」の意。(越水利江子『風のラブソング』)

 

素晴らしい、これがレトリックだ──と書くと、今回の講義が終わってしまうので、無粋ながら解説を試みる。

引用したこの小説の文章は、明らかに日常的な言語の枠組みを超えている。日常会話や、商品の使用説明書や法律、まだ小説に昇華されていない作文などと異なり、独特の手触りを持っている。つまり、文学的な言語で記述されている。

それがレトリックというものだ。

言語表現に特別な効果を持たせる言い回し、「美」や「悲しみ」や「喜び」をくっきりと際立たせる表現方法がレトリックなのである。

引用部分では、パラソルが何度か出てくる。

れんげ畑のむこうから、泳いでくるみたいに見える「白いレースのパラソル」。ふわあり、ふわあり、浮きあがったり、沈んだりしながら近づいてくるパラソル。その向こうに広がるのは「雲ひとつない、真っ青な空」である。この対比が、兄と妹の悲しみを予感させる。

女の人はパラソルを高くさしあげて歩いてくるので、パラソルにぶらさがっているようで、白いパラソルは大空をただようパラシュートにも見えた。美しいが、しっかり大地に立っているわけではない、不安定な感じがよく表現されている。不安定だが美しい人間たちの営みが、巧みに書き込まれているのである。

文学的なレトリックとは、小説にとって最も大切な人間の「感情」をいかに表現するかという、その作家に固有な叙述の方法なのだ。

ちなみに、『風のラブソング』は八つの短編の連作で描かれる、少女・小夜子の世界である。

「ふわりふわり」「なれてるお父ちゃん」「青空の国」「みきちゃん」「あの日のラブソング」「ダイヤモンド・ダスト」「金の鈴」「バトン・タッチ」の八つの短編が、じつはひとつに繋がって大きな世界を形成する。そういう意味での連作なのだが、最初と最後の作品で哀切な別れが描かれている。

作品の全体が別れから始まり別れで終わるのだ。

子供が経験する「別れ」は深く痛切で、だがどこまでも透き通っている。

『風のラヴソング』は越水利江子さんのデビュー作であり、引用部分は最初の作品の書き出しである。それでいながらこの巧みさ! 最初の小説にその作家のすべてがあるとよく言われる。デビュー作において、この作家は柔らかなレトリックによってあまりにも豊かな、僕らが失ってしまった情感というものを描いているのだ。

花火や蝶々や日本の何気ない自然の描写が、僕らに共通の故郷の存在を喚起しておりそれが胸にのこる。

 

【レトリックという言葉が持つ二重の意味】

レトリックは修辞法と翻訳されているが、もはや「レトリック」とカタカナで表記する方が分かりやすいだろう。この言葉には二つの意味がある。

1. 文学的な技術
2. 相手を説得するための技術

 

レトリックが生まれたのは古代ギリシャで、アリストテレスによって弁論術・詩学として集成され、近代ヨーロッパに受け継がれていった。

こうした流れの中で、レトリックは文学の方法である以前に、相手を説得するための技術として深められていったわけだ。日本語で言う「言葉の綾」である。

技巧的な、飾った言い回しをしてあらぬ誤解を招いた時の弁明として「それは、言葉の綾というものだよ」などと言ったりする。

そういう意味では、あまりいい印象を与える言葉ではない。「それはレトリックだよ」と誰かに言われたら「それはずる賢い言い訳でしょう?」と言われたに等しい。

レトリックは雄弁術、弁論術、説得術と翻訳することも可能なのである。ちなみに、『三省堂 大辞林 第三版』にはこう書いてある。

レトリック 【rhetoric】

  1. 修辞学。美辞学。
  2. 修辞。「─にすぐれた文章」
  3. 実質を伴わない表現上だけの言葉。表現の巧みな言葉。「巧みな─にごまかされる」

そうか、実質を伴わない表現上だけの言葉なのか。

そしてこんな分け方もある。

1. 日常的な技術
2. 体系的な学問

 

レトリックというカタカナはもはや日常言語だろうが、もっと専門的な、体系的な学問でもある。アリストテレスが始めたレトリックはそのように発展していったわけだ。学問としてのレトリック──修辞学から実作者が学ぶものは多い。

レトリックと言っても、多種多様である。ここでは、その名前だけを挙げておく。

比喩、擬態法、擬人法、倒置法、反復法、トートロジー、アクロスティック、修辞疑問、隔語句反復、体言止め、反語、呼びかけ、パラレリズム、押韻、省略法、挿入法、くびき法、緩叙法、漸層法(ぜんそうほう)、アンチテーゼ、敷衍(ふえん)、パロディ、畳語法・畳句法・畳音法、疑惑法(アポリア)、曲言法、誇張法、列挙法・列叙法、折句、撞着語法、頓降法・漸降法(ぜんこうほう)、黙説、冗語法、共感覚法、字装法、掛詞、音数律、婉曲法、逆言法、含意法、文体模写法………。

 

こんなにたくさんあるのだが、大きく二つに分けられる…..,(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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