特別公開:英雄神話は自分探しの旅のプロセスに対応している──『千の顔を持つ英雄』をテキストに1

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『 2週間の夏休みをいただき、ありがとうございました。

この休みの期間を利用して、学生で言うなら「復習」をしていた。物語論の復習という意味だ。

最大の収穫というか発見は、僕が語る物語論(ナラトロジー)は、ウラジミール・プロップやジョーゼフ・キャンベル、あるいはロラン・バルトに依っていると考えていたのに、実はかなりズレているということだった。』

 

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「私」物語化計画 2019年8月23日

特別公開:英雄神話は自分探しの旅のプロセスに対応している──『千の顔を持つ英雄』をテキストに1 山川健一

2週間の夏休みをいただき、ありがとうございました。

 

この休みの期間を利用して、学生で言うなら「復習」をしていた。物語論の復習という意味だ。

最大の収穫というか発見は、僕が語る物語論(ナラトロジー)は、ウラジミール・プロップやジョーゼフ・キャンベル、あるいはロラン・バルトに依っていると考えていたのに、実はかなりズレているということだった。

今の学生たちにもわかりやすく物語論を伝えようと四苦八苦し、『ファイナルファンタジー』や『Fate/Grand Order』といったゲームや『ジョジョの奇妙な冒険』等のアニメのエピソードなども入れ込んでいるうちに、本来的な物語論からはかなり逸れてしまっているのだ。

つまり、ヤマケン・ナラトロジーは、本来のナラトロジーとはかなり異質のものになってしまっている。でもだからこそオリジナリティがあって実践的なのだろうと思う。これを8月31日の大阪のイベントまでに《「私」物語化計画ナラトロジー》として仕上げて資料を作成し、それを配布した上で丁寧に講義します。

その前に、まずは今や古典とも言うべきジョーゼフ・キャンベルのナラトロジーをなるべく正確に『千の顔を持つ英雄』をベースに紹介したいと思う。

この本を有名にしたのは、映画監督のジョージ・ルーカスだ。ルーカスは大学でキャンベルの授業をうけて大いに強い影響を受け、キャンベルの英雄伝説の基本構造を『スター・ウォーズ』3部作にそっくり使用したのである。ハヤカワ文庫の帯にも《スター・ウォーズシリーズの原点!》というコピーが刷り込まれている。

前回お伝えしたようにキャンベルはアメリカ合衆国の神話学者であり、神話を素材にしている。そして神話というスケールの大きな物語を身近に引き寄せるためにフロイトやユングの学説を利用しているのである。

わかりやすい例をあげよう。『千の顔を持つ英雄』からの引用です。

こんな具合である。

 

《精神分析医が書いた大胆で画期的な著作の数々は、神話学の研究者には避けて通れない。なぜならば、特定の症例や問題についての詳細でときに矛盾を抱えた解釈をどのように考えるとしても、フロイトやユングやその系譜の学者が、神話の論理や英雄や偉業は現代も生きている、と明白に示しているからである。強い印象を与える普遍的な神話がなくても、私たちは一人ひとりが、未発達でまだ認識されていないが密かに影響力を持つ、自分だけの夢の神々を持っている。現代のオイディプスや恋する美女と野獣が、きょうの午後も、ニューヨークの五番街四二丁目の角に立って信号が変わるのを待っているかもしれない。

「ぼくは夢を見ました」とアメリカ人の若者が、ある新聞の特集記事の筆者に手紙を送った。》(『千の顔を持つ英雄』新訳版・ハヤカワ文庫)

ここからが、その件の青年の無邪気な告白である。

 

《家の屋根板を張り直していました。不意にぼくを呼ぶ父の声が下から聞こえました。ぼくは父の声がよく聞こえるように、と思って、とっさに体の向きを変えました。そのとき手からハンマーが落ちて、屋根をすべって視界から消えました。ドサッという人が倒れる重い音がしました。

ぼくはとても怖くなって、はしごを伝って下に降りました。すると父が倒れて亡くなっていました。頭のあたりに血だまりができています。ぼくは心が張り裂けそうになって、泣きながら母を呼びました。母は家から出てくると、ぼくを包むように抱いて言いました。「あなたは悪くない。事故なのよ。父さんが死んでも、母さんの面倒をみてくれるわよね」そうしてぼくにキスをしているときに、目が覚めました。

ぼくは兄弟の中で一番の年長で、二三歳です。妻とは別居して一年になります。どういうわけかうまくいきませんでした。ぼくは両親をとても大事に思っています。父とは喧嘩したこともありません。ただ父はぼくに、戻って妻と一緒に暮らすように、とうるさく言います。でも妻とではきっと幸せにはなれないでしょう。だから戻りません。》(同)

 

これを読めば、誰だってこの告白が現代版『オイディプス』だと思うに違いない。キャンベル自身はこの告白をこんなふうに分析している。

 

《この、妻とうまくいかない夫は、精神的なエネルギーを結婚生活の愛情や問題に向けず、想像の世界の秘密の隠れ家にこもって、最初で唯一の感情的な関わりという今日ではばかばかしいほど時代錯誤でドラマチックな状況にいることを、驚くほどあっけらかんと語っている。それは母親への愛情のために父親に反発する息子という、子ども部屋で起こる悲喜劇的な三角関係である。明らかに、人間の精神の中でいつまでも消えない素質は、どの動物と比べても人間は母親の胸に抱かれて育つ時間が長いという事実に由来する。人間は生まれ出るのが早すぎる。外の世界と対時するには未成熟で、準備が整っていない。その結果、危険な世界から全面的に守ってくれるのは母親になり、母親に守られた状態で子宮内に留まる期間が引き延ばされることになる。それゆえに依存する立場の子とその母親は、産みの苦しみを経たのち何カ月も、肉体的にも心理的にも二人でひとつの関係になるのである。母親がそばから少しでも長く離れると子どもは緊張し、そこから攻撃性という衝動が生じる。また母親がやむなく子どもの自由な活動を邪魔すれば、攻撃的な反応を引き起こすことになる。こうして子どもの最初の憎悪の対象は最初の愛情の対象と同じになり、最初の理想は(その後は至福、真理、美イメージの無意識な基本として記憶される)聖母子像が表す二者単一体になる。》(同)

 

いかがだろうか。

キャンベルのこの分析は、フロイトの学説を前提にすることにより、神話と現代のクライムノベルをつないでいると言えはしないだろうか。

かつて僕が書いた『安息の地』も、ジョーゼフ・キャンベルが描いた世界のどこかに位置していると感じられる。

それにしても不運なのは父親である。

彼は子宮の中の居心地の良さを置き去りにした子供にとって、現実という名の秩序を押し付ける最初の存在になるのだ。だから初めは敵として認識される。守ってくれるのは母親という良きものだ。

この良きイメージは母親がそのまま持ち続ける。やがて子供は幼児期を終える。この幼児期の死、死に向かう欲望であるタナトスとデストルドーは、エロス、リビドーとうまく配分されることになるわけだが、それがエディプス・コンプレックスのベースになる。

ジークムント・フロイトは、人間の大人が理性的な生き物として行動できない大きな理由として、エディプス・コンプレックスを提唱したのである。

もっともフロイトはちゃらっと「父ライオスを殺して母イオカステーと結婚したオイディプス王は、単に幼児期の望みを叶えたことを示すにすぎない。しかし私たちはオイディプスより幸運なことに、精神神経症の患者になっていなければの話だが、自分たちの性的衝動を母親から切り離し、父親に対する嫉妬心を忘れることに成功した」と言っている。

ちなみにキャンベルは「英雄神話は人間の自己実現のプロセスと対応している」と述べている。

僕なりにそれを一歩進めれば、「英雄神話は僕ら自身の自分探しの旅のプロセスと対応している」のである。

 

前回も述べたが、ジョーゼフ・キャンベルの神話論で特徴的なのは「英雄」の存在に注目し、それぞれの神話に共通の構造を見出したということだろう。

キャンベルは、「英雄の旅は共通の構造を持っている」と言うのである。

英雄神話は、これもリマインドになるが、もっともシンプルに分析すれば3つのパートに分けられる。

【英雄神話の3つのパート】
(1)主人公は別の非日常世界への旅に出る。
(2)イニシエーションを経験する。
(3)元の世界に帰還する。

英雄は危険を冒して日常世界からだけでなく、人間の力が及ばない超自然的な領域にも出掛ける。その未知なる領域で超人的な力に遭遇し、紆余曲折あるが最後は勝利を収める。そして不思議な冒険から、日常世界に帰還する。

もう少し詳しく分けると、8つのパートに区切ることができるが、これも【英雄神話の構成】として前回紹介したので省略します。

それではいよいよ、キャンベルの物語論の本体へと分け入って行こう。

 

【英雄伝説の構造(ナラトロジー)】

キャンベルは、神話学上初めて……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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