特別公開:いよいよ旅立ちだ! 2 山川健一

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『今回は小説を書くことと深く関わりながら、しかし実際には「自分探しの旅」のほうにもっと深く根ざしている話をしたいと思う。これは、大学の教員をやることになり、ナラトロジーを学ぶことになった、僕なりの最新の知見である。』

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「私」物語化計画 2019年2月8日

特別公開:いよいよ旅立ちだ! 2 山川健一

今回は小説を書くことと深く関わりながら、しかし実際には「自分探しの旅」のほうにもっと深く根ざしている話をしたいと思う。

これは、大学の教員をやることになり、ナラトロジーを学ぶことになった、僕なりの最新の知見である。

かつてミックジャガーが「ロックンロールとは、若い連中にとってはちょっとした楽しみで、しかし俺にとってはもはや宗教だ」と述べたが、ナラトロジーとは僕にとってはもはや宗教なのかもしれない。

どういうことか?

小説にはロジックで貫かれている「工学的な側面」と、感情の表現である「芸術的な側面」とがある。これを研ぎすませていくと無駄のない精緻な言語表現が成立する。

逆に言うと、この両輪がない物語は、小説として成り立っていない。

小説とは実際の人生を可能な限りリアルに模倣するものだ。それは、別の世界の見たこともない人々が繰り広げる、ファンタジーノベルにしても同様だ。

優れた小説は、主人公たちが逃れることのできない強い外圧によってある場所に追い込まれ、そこで力の限りを尽くす様を描くものだ。

長らくこうした作業を続けてきて、ごく最近、奇妙な事実に気がついた。

 

小説が人生を模倣するのではない。

人生が小説を模倣するのである。

 

少なくとも両者は非常に密接に強い影響を与え合っている。

そして、僕は1つの結論を得た。

──僕らの現実の人生そのものが「外圧によって否応なくそこへ追い込まれた」ものなのではないだろうか、というものだ。

小説には……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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