特別公開:物語論(ナラトロジー)で「私」という物語を探る2 山川健一

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『すべての物語は欠落がなければ始まらない、そして欠落は、欲求あるいは欲望がないと存在しない──というところまでが前回のお話でした。ちなみに、この講座では「欲求」と「欲望」は別のものだという論点で話を進めますが、その理由など詳しくは後で述べます。』

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「私」物語化計画 2019年1月18日

特別公開:物語論(ナラトロジー)で「私」という物語を探る2 山川健一

すべての物語は欠落がなければ始まらない、そして欠落は、欲求あるいは欲望がないと存在しない──というところまでが前回のお話でした。

ちなみに、この講座では「欲求」と「欲望」は別のものだという論点で話を進めますが、その理由など詳しくは後で述べます。

 

ぼくは23歳でデビューしたので担当編集者はみんな歳上で、彼らはぼくを教育してくれようとした。「群像」でも「海」でも「すばる」でも「文藝」でも言われたのが、「もっと自分を見つめてください」ということだ。

自分を見つめる?

どうやって?

一度、村上龍さんとこの話をしたことがある。

自然児である龍さんは、

「俺も言われた。しかしそんなもの見つめたって、つまんない男がいるだけだよな」

と言っていた。その通りだとぼくは思い、龍さんもそうなんだと知り、ほっとしたのをよく覚えている。

いま考えれば、多くの若い作家が同じようなことを言われたのだろうと思う。そして、そのセリフは多くの迷いを生んだにちがいない。編集者が作家を潰す典型的なパターンである。

 

なぜ「自分を見つめろ」と言われると作家は書けなくなるのか?

それは自分を見つめろというオーダーがあまりにも漠然としていて、具体性に欠けるからだ。たとえて言うなら、マップなしで「自分探しの旅」に出ても迷子になるだけ、ということだ。

ちなみに、いつかちゃんと「編集者批判序説」という批評を書くつもりだが(冗談です)、作家志望の皆さんには断言しておくが、あなたたちはプロになっても編集者を100パーセントは信用してはいけない。作家と編集者の望ましい関係は、戦い合うことが出来るパートナーシップが存在することが前提だ。

 

自分を見つめろとは、具体的に言えば自己の内部の「欠落」を明らかにせよということであり、どんな「禁止」がその「欠落」を生んだのか思い出せということだ、といまのぼくは理解している。

そして、得体の知れない「視えない敵」が禁じたのはぼくらの「欲求」なのだ。

では、まず欲求について考えてみよう……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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