特別公開:レトリックを身につける2──直喩で表現する場合は類似性を探すよりもむしろ差異を発見しなければならない 山川健一

レトリックを磨くためには、重要なことが2つあると僕は思っている。1つは自分自身を突き放し、客体視し、独特な思考のパターンを披露することだ。

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」(チャンドラー)などがこれに相当する。

これを体得するには翻訳小説を読み、あなた自身の感受性に近いレトリックを学ぶのが手っ取り早い。好きなミュージシャンの英語の歌詞から学ぶのでもいい。海外小説を原文で読めればもっと良い。

次代のプロ作家を育てるオンラインサロン『「私」物語化計画』会員用Facebookグループ内の講義を、一部公開いたします。

ご興味をお持ちの方は、ぜひオンラインサロンへご参加ください

 

『「私」物語化計画』

→ 毎週配信、山川健一の講義一覧

→ 参加者募集中→ 参加申し込みフォーム

 

「私」物語化計画 2020年2月7日

特別公開:レトリックを身につける2──直喩で表現する場合は類似性を探すよりもむしろ差異を発見しなければならない 山川健一

レトリックを磨くためには、重要なことが2つあると僕は思っている。1つは自分自身を突き放し、客体視し、独特な思考のパターンを披露することだ。

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」(チャンドラー)などがこれに相当する。

これを体得するには翻訳小説を読み、あなた自身の感受性に近いレトリックを学ぶのが手っ取り早い。好きなミュージシャンの英語の歌詞から学ぶのでもいい。海外小説を原文で読めればもっと良い。

英語は現代世界のスタンダードになっており、英語的な発想は僕らが日本で生きていく上でも必要不可欠になっている。僕らが小説を書く時、1ページに何カ所もカタカナが登場する場合があるだろうが、このカタカナそのものが外国語の導入である。日本語は文化圏の違う領域の言語をカタカナにし、そのまま挿入するれば意味が通じるという優れた特質を持っている。

もう1つ大切なのが、比喩表現だ。「燈台のように淋しい」(チャンドラー)などがこれに相当する。

比喩のカテゴリーには、直喩、隠喩、換喩、提喩という4つのカテゴリーがある。このカテゴリーを示したのはロラン・バルトの翻訳などで知られている言語哲学者の佐藤信夫で、1978年に発刊された『レトリック感覚』(講談社学術文庫)は今やレトリックの教科書と言って良い。

・直喩(明喩/シミリー) 「~のような」等の言葉を使って、物事を例える比喩表現。
・隠喩(暗喩/メタファー) 「~のような」という言葉を使わずに、物事を例える比喩表現。
・換喩 隣接するものを、それと関係の深いもので表現する。(一升瓶を飲み干した、黒板を消す、など)
・提喩 部分的なことで全体を表す、またはその逆(会場へ行く足。交通手段という上位概念を、下位概念である足で表している)

4つのカテゴリーのなかで大切なのが直喩と隠喩だ。換喩と提喩はいわば言語学的な分類だろうが、小説を書く技術として、直喩と隠喩には意識的でなければならない。

直喩と隠喩はどう違うのか。わかりやすい例を挙げてみよう。

 

男は風のように駆けた。(直喩)
男は風だった。(隠喩)

 

彼女は薔薇のように美しい。(直喩)
彼女は薔薇だ。(隠喩)

 

例文はわかりやすいが、無味乾燥なので、太宰治の小説から直喩と隠喩を抜き出してみよう。まず直喩の方だが、課題図書として読んで頂いた『メリイクリスマス』の一節だ。

 私は本屋にはひって、ある有名なユダヤ人の戯曲集を一冊買ひ、それをふところに入れて、ふと入口のはうを見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のやうな感じで立つて私を見てみた。口を小さくあけてゐるが、まだ言葉を発しない(太宰治『メリイクリスマス』)

次に隠喩。

 晩秋の夜、音楽もすみ、日比谷公会堂から、おびただしい数の烏が、さまざまの形をして、押し合ひ、もみ合ひしながらそろそろ出て来て、やがておのおのの家路に向って、むらむらぱつと飛び立つ。
「山名先生ぢや、ありませんか?」
呼びかけた一羽の烏は、無帽蓬髪の、ジャンパー姿で、複せて背の高い青年である。
「さうですが、 ……」
呼びかけられた烏は中年の、太った脚士である。(太宰治『渡り鳥』)

言うまでもなく、「鳥の飛び立つ一瞬前のやうな感じ」が直喩で、「呼びかけた一羽の烏」「呼びかけられた烏」が隠喩である。

川端康成の『雪国』から、批評家によく取り上げられる直喩と隠喩を挙げてみよう。

駒子の唇は美しい蛭のやうに滑らかであつた(川端康成)

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった(川端康成)

「蛭のやうに」という直喩はショッキングで賛否両論あり、だからこそ多くの人が引用するのだろう。「夜の底」はむしろわかりやすい隠喩である。

さて、我々は直喩と隠喩をどう使い分ければいいのだろうか?…..,(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

→ 毎週配信、山川健一の講義一覧

→ 参加者募集中→ 参加申し込みフォーム