晴れた日には永遠が見える、雨が降ったら小説を書こう 02 「自然」を含んでいるかどうか 山川健一
──日本の自然こそは日本文学の肉体である──
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2025年8月29日
特別公開:晴れた日には永遠が見える、雨が降ったら小説を書こう 02 「自然」を含んでいるかどうか 山川健一
【ザ・フェイセズの”Debris”】
まだ街が完全に目を覚ます前の時刻。午前五時の世田谷区の緑道は、夜と朝の境界にひっそりと横たわっている。薄い靄が舗道の上にかかり、街灯のオレンジ色の光を柔らかくにじませていた。空は群青から淡い藍へと変わりつつある。やがて東の端から滲むように薄桃色の光が差し込み始めるだろう。
歩くたびにNIKEのスニーカーの底がアスファルトをこすり、乾いた音を響かせた。遠くをバイクが通り過ぎる音が聞こえ、また静寂が戻る。
人影は少ない。たまに犬を連れた年配の人とすれ違い、毎朝のことで顔見知りになっているので、互いに軽く会釈を交わす。
道には人工の川が流れ、両側には桜並木が続いている。春には華やかに咲き誇るその木々も、今は緑の葉を風に揺らせている。鳥たちが一羽、二羽と飛んでいく。
緑道の途中、小さなベンチが置かれた広場に差し掛かる。ベンチには誰も座っていないが、木々の隙間から覗く空の色が少しずつ明るさを増し、そこに座れば一番に夜明けの兆しを感じられるだろうと思えた。
街灯の光に遮られながらもいくつかの星がちらついている。
緑道に沿って並ぶ住宅の窓はほとんどが暗い。だが、ところどころで明かりが点き始め、白いカーテン越しに橙の光がにじんでいる。
昨夜一緒に飲んだ女友達と話した、ザ・フェイセズの曲を思い出す。”Debris”という曲だ https://youtu.be/cbTDVTwPNZw 。ロニー・レインが歌っている。
きれいなラブソングだと僕は思っていたのだが、彼女がこの曲は父親の思い出を歌っているのだと教えてくれた。「聴くたびに胸が締めつけられ涙が出そうになる」、と。『馬の耳に念仏』というこのアルバムは、僕が高校生の頃リリースされた。その頃まだ生まれていなかった女性に、僕は歌詞を教えてもらった。
音楽とは、不思議なものだ。
ロニーと父のスタンリーとはDebrisと呼ばれるガラクタ置き場みたいな市場に足を運んでいた。父親は「労働組合は何もしてくれない」とぼやきながら、トラックの運転手を続けていた。父はロニーのヒーローで、親友だった。だが彼は、そんな父を瓦礫の山に置き去りにしてしまったのだと感じている。
仕事が終われば、父は多発性硬化症を患っていた妻と息子二人の世話をする。そしてロニー自身も、母親と同じく多発性硬化症を患い、病に喘ぎながら51歳で生涯を閉じたのである。
やがて東の空がはっきりと朱に染まってくる。街の輪郭が浮かび上がり、アパートの窓に一つ、二つと明かりが点り始める。暗い影絵みたいだった木々は次第に輪郭を失い、柔らかな色を帯びていく。
緑道全体が、夜から朝へと引き渡される。世界が少しずつ目を覚まし、緑道もまた昼の喧騒へ向けて準備を始めているようだった。
僕の頭の中ではまだ”Debris”が鳴っている。少しだけ、自分自身の父親のことを思い出した。
【自然こそは文学の肉体である】
今朝の出来事を書いた。
これは文学だろうか?
それとも日記?
それを決めるのは偉い批評家でも学者でもない。自分自身が決めればいいのだ。文学だよな、と僕は思う────続きはオンラインサロンでご覧ください)
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