キャラクター・メーキングで失敗しないために 01 「ざまあみろ」「絶対に許さない」はダメです 山川健一

──論理的に破綻がなく「正しい」作品であっても、登場人物たち、すなわちキャラに魅力がなければ、その作品に読者が感動する事はないだろう──

 

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2025年4月11日

特別公開:キャラクター・メーキングで失敗しないために 01 「ざまあみろ」「絶対に許さない」はダメです 山川健一

小説には間違いがある、ということをナラトロジーは指し示している。小説には、エモーショナルな側面と、論理的な側面がある。この論理を裏切ると、間違った作品になってしまう。そういうことを、物語化計画で、僕は長らく書いてきた。作品の冒頭には欠落がなければならない、というような物語の構造に関することだ。

しかし同時に、論理的に「正しい」作品が優れた作品であるわけでもない。論理的には、むちゃくちゃでも感動する作品はある。その辺が、小説の厄介なところだ。

小説のエモーショナル部分の解説は、論理的な部分の解説よりもはるかに難しい。しかし、最近会員の皆さんの作品を読みながら、そろそろ文学のエモーショナルな側面、生きた感情が呼吸しているのかどうか、というようなことを考えなければならないなと思うようになった。

この問題は、深くキャラクター・メーキングに関連している。論理的に破綻がなく「正しい」作品であっても、登場人物たち、すなわちキャラに魅力がなければ、その作品に読者が感動する事はないだろう。

ナラトロジー的には正しい作品でも、キャラクター・メーキング的には間違った作品というものがある。

それでは、厳しいようだがキャラクター・メーキングの失敗例を見ていこう。

 

【悲しみの不在】

あらゆる物語は、悲しみに満ちている。なぜか。すべての人間が、今、ここに生きていながらも、やがて死んでいくからだ。

そこに悲しみが生まれる。

悲しみのない物語は、物語とは言えないのである────続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

山川健一
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