神秘体験をコアに配置した小説を書く 01 僕の体外離脱体験 山川健一
──文学やその他の芸術のコアには、神秘あるいはささやかながら神秘体験があるのではないか──
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「私」物語化計画 2023年12月1日
特別公開:神秘体験をコアに配置した小説を書く 01 僕の体外離脱体験 山川健一
【ライトな仏教徒】
12月である。
小説と神秘体験、神の問題について、自分の体験を告白しながら何度か書いてみたいと思っている。不可思議な出来事が起こる小説は面白い。ただ、神秘もやはり「私」から発するべきだと僕は思うのだ。
僕は神秘主義者ではない。神秘主義(mysticism)とは、絶対者、つまり神や最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする哲学、宗教上の思想のことである。
僕は絶対者を受け容れているわけではない。そんなものを措定するから戦争が絶えないのではないか、とさえ思っている。
特定の宗教も信仰していない。
あるいはライトな仏教徒である。
その話を少ししたい。
ジャマイカへ行った時、ラスタマンによく聞かれた。
「おれはジャーを信仰してる。おまえは?」
「ノー・リリジョンだよ」
ぼくは、ずっとそう答えていた。
すると、向こうはこちらに哀れみの視線を向ける。
「オウッ、それがロックンロールのいちばんよくないところだよ。信仰なしに人間は生きられない。たとえば……」
という具合に、長い長い説教が砂浜に棒切れで図を描いたりしながら続くことになる。。
そういうのに疲れ果てていたぼくは、ある時知り合ったばかりのラスタマンに同じ質問をされた時に、反射的にこう答えたんだ。
「おれはブディストなのさ」
すると彼がとても美しい笑みを浮かべ、ぼくを抱きしめて背中を叩いてくれた。
「それはいい! おれはもちろんラスタだけど、ブッダのことも好きだよ。ブディストになら、レゲエはわかるよ。クール!」
ぼくが仏教徒になったのは、その瞬間のことだったような気がする。すごくいい加減でバツが悪かったのだが、同時に肩の荷が降りたような気もした。
世界中に、約三億人の仏教徒がいるのだそうだ。仏教は世界で四番目に大きな宗教である。だが、その信者の数が示すよりもはるかに大きな影響力を仏教は持っている。
ゴータマ・シッダールタ、ブッダ、あるいは釈迦として知られる男が二五〇〇年ほど前にその平易な教えを説いて以来、仏教はその発祥国であるインドからアジア中にひろまった。
インド、中国、日本、朝鮮半島、タイ、チベットをはじめとするアジア諸国で、仏教は強い影響力を持ってきた。仏教は一神教とは異なり、誰もが「ブッダ」に至ることができるのだという世界観がそのベースにある。『般若心経』を聞いたことのない日本人は少ないだろうが、あれを読むと量子力学の学術書みたいである。
ま、仏教の話はこれぐらいにしておこう。
僕が言いたいのは、文学やその他の芸術のコアには、神秘あるいはささやかながら神秘体験があるのではないかということだ。
思い出してみてほしい。あなた自身のこれまでの道のりは、そのすべてがニュートン流の合理性の枠組みの中にありましたか?
虫の知らせとか、電話をかけようと思った瞬間に相手からかかってくるシンクロニシティとか、物の怪や幽霊の類を見たことがあるとか、何か不可思議な体験はありませんか?
そんな神秘体験を含んだ小説は、率直に言って面白くなる可能性が高い。現実をなぞるだけなら、何も小説を読む必要はないのだ。
ただし完全に神秘を受け入れてしまうと、小説は成立しない。そいつは宗教になってしまうからだ。だが、神秘を拒む小説は、薄っぺらい。
その塩梅を探る必要があるのだ。まず、僕ら自身が過去の体験を丹念に思い出し、世界は目に見えている通りのものではないのだということに確信を持つ必要がある。
【体外離脱体験】
ここからは、僕の神秘体験の告白である。
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