10枚の掌篇小説を書くコツ 03 「物語るパート」と「描写するパート」のごく自然な混在を太宰治に学ぶ 山川健一
──「物語るパート」と「描写するパート」のごく自然な混在、何の前触れもなく回想シーンや会話のシーンに移行するテクニックは身につけたい──
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「私」物語化計画 2023年9月8日
特別公開:10枚の掌篇小説を書くコツ 03 「物語るパート」と「描写するパート」のごく自然な混在を太宰治に学ぶ 山川健一
【『メリイクリスマス』の分析】
7月7日に亡くなったPANTAのお別れ会「献花式・ライブ葬」へ行ってきた。
Rudie’s Club Bandのギターであり、バンドの中ではたったひとり、物語化計画の会員でもある石澤瑤祠と一緒だ。場所は渋谷 duo EXCHANGEである。
パンタのライブ映像に合わせてバンドが演奏する。そこにパンタがいるようだった。何人もの人が泣いていた。さようなら、パンタ。お疲れ様でした。安らかに眠ってください。
鮎川誠のロック葬がついこの間あったばかりなのに、今度はパンタだ。
このところ、「人は死ぬ」という当たり前のことを考えてしまう。鮎川誠は僕の5つ上、パンタは3つ上。日々を大切に生きていかないとなと思う。もう少しライブもやらないとな。できるうちにね。
さて、小説は、2つのタイプの異なる文章、あるいはパートによって成立しているという話の続きである。小説には「物語るパート」と「描写するパート」がある。これがプロット以前の基本なのである。「物語るパート」は写真で言えば標準レンズで、「描写するパート」はズームで撮影したパートである。
この使い分けを、太宰治の『メリイクリスマス』の冒頭を素材に解説して行きます。
メリイクリスマス 太宰治
東京は、哀しい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。
おお、いきなりやってくれてますね。
太宰治は書き出しの天才だと思うが、この部分は、「物語るパート」と「描写するパート」のミックスである。「映った」という表現はリアルタイムで、それまでの物語る口調から一転して「今」を書いている。ま、こんな芸当ができる人は、太宰以外にはあまりいない。
では、次──。
私はそれまで一年三箇月間、津軽の生家で暮し、ことしの十一月の中旬に妻子を引き連れてまた東京に移住して来たのであるが、来て見ると、ほとんどまるで二三週間の小旅行から帰って来たみたいの気持がした。
「久し振りの東京は、よくも無いし、悪くも無いし、この都会の性格は何も変って居りません。もちろん形而下の変化はありますけれども、形而上の気質に於いて、この都会は相変らずです。馬鹿は死ななきゃ、なおらないというような感じです。もう少し、変ってくれてもよい、いや、変るべきだとさえ思われました。」
と私は田舎の或るひとに書いて送り、そうして、私もやっぱり何の変るところも無く、久留米絣の着流しに二重まわしをひっかけて、ぼんやり東京の街々を歩き廻っていた。
ここは「物語るパート」であるが、いきなり「久し振りの東京は、よくも無いし、悪くも無いし、この都会の性格は何も変って居りません」から続く手紙の文章になる。
このテクニックは重要だ。私は手紙を書いたという説明なしに、いきなり手紙文を引用しているわけで、物語る部分が切断されることがない。
こういう説明なしに書いていく方法は、ヘンリー・ミラーの『北回帰線』もそうで、僕らが学ぶと言うか、具体的に真似することができるテクニックである──続きはオンラインサロンでご覧ください)
山川健一『物語を作る魔法のルール 「私」を物語化して小説を書く方法』