文学を解放する 01 天才達の寡占から小説を「普通の人々」の手に取り戻す(小説の作法) 山川健一

物語論は、一部の天才達が独占していた小説を書く技術を、神話や民話や昔話を論理化することにより、普通の人々に解放したのだと僕は思っている──

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「私」物語化計画 2023年2月10日

特別公開:文学を解放する 01 天才達の寡占から小説を「普通の人々」の手に取り戻す(小説の作法) 山川健一

【天才である必要はない】

日頃、「悲しみを物語化して小説を書いてください」などと偉そうなことを言っているくせに、最近の僕は混乱のただ中にいて、何も手につかない状態である。シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんが突然逝ってしまったからだ。

僕にとってのロックシーンの三つの星とも言うべき人達がいて、それは忌野清志郎さんとパンタと鮎川誠さんだ。清志郎さんが二つ年上、パンタが三つ上、鮎川さんが五つ上だ。

清志郎さんは2009年に亡くなり、鮎川さんは先日逝ってしまった。パンタとご飯を食べに行って清志郎さんの話になると「絶対に長生きしてくれよ。清志郎さんもパンタもいない世界では俺も生きていけない」と言ったものだったが、そのパンタが肺癌で入院してしまった。携帯のメールでお見舞いを出したのだが、返信はない。スマホは病室ではメールしか使えないから、と前の入院の時に言っていたが、心配だ。

三つの星のうち、二つが流星になって彼方に去った。

一生懸命努力したって、誰もが最後には流星となりこの世界を去るのだから、努力なんて無駄なことのように思える。

そして僕は、今自分は物語化計画を一生懸命に運営しているわけだが、何のためにこんなことをやっているのだろうと考えた。今週はそのことを書く。

 

川端康成が昭和二十五年に刊行した『新文章読本』のまえがきでこんなことを書いている。

 少年時代、私は「源氏物語」や「枕草子」 を読んだことがある。手あたり次第に、なんでも読んだのである。勿論、意味は分りはしなかった。ただ、言葉の響や文章の調を読んでいたのである。

それらの音読が私を少年の甘い哀愁に誘いこんでくれたのだった。つまり意味のない歌を歌っていたようなものだった。

しかし今思ってみると、そのことは私の文章に最も多く影響しているらしい。その少年の日の歌の調は、今も尚、ものを書く時の私の心に聞えて来る。私はその歌声にそむくことは出来ない…。

右は、古い私の文章の一節であるが、読みかえしていま、文章の秘密もそこにあるかと思うのである。

文章を単に小説の一技術とみなす風潮が、どれほどわれわれの文学を貧しくして来たであろうか。昔は、文章は即ち人といわれていた。文章それ自身が、一つの生命を持って生きていた。私のこの拙い一冊はまた、思えばそうした、「生命ある文章」へのノスタルジアであろう。

文章は、人と共に変り、時と共に移る。一つが消えれば、一つがあらわれる。文体の古び方の早さは思いの外である。

つねに新しい文章を知ることは、それ自身小説の秘密を知ることである。同時にまた、新しい文章を知ることは、古い文章を正しく理解することであるかも知れぬ。明日の正しい文章を…生きている、生命ある文章を考えることは、私たちに課せられた、光栄ある宿命でもあろう。

──川端康成『新文章読本』新潮文庫)

文章を単に小説の一技術とみなす風潮──って、今俺がやってること? 文豪に叱られてる?──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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