特別公開:ドストエフスキー講義 02 神なき現代、面白い小説を書くためには「自意識」を導入する以外にない 山川健一

自意識の存在は現実の生活ではややこしいが、小説を圧倒的に面白くさせる──

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「私」物語化計画 2021年3月19日

特別公開:ドストエフスキー講義 02 神なき現代、面白い小説を書くためには「自意識」を導入する以外にない 山川健一

先週からドストエフスキーのことを書いているが「イノベーションの話はどうなったんですか?」という指摘を受けた。

もっともな指摘であり、今週はまずこれに対応します。

1つの小説が論理的な構造を持っているように、小説の歴史も論理的な脈絡に導かれている。時々、小説というものが大きく前進することがある。それがイノベーションであり、そんな作品を描いた小説家はイノベーターたちである。

シェイクスピアが神々の物語、すなわち神話を人間の物語に引きずり下ろした。だが物語の主人公たちはまだ英雄であるべきだった。シェイクスピアに憧れながらフランスに誕生したモリエールは、喜劇という枠組みを考案することによって英雄の物語を普通の人々の物語に引き摺りおろした。モリエールの後フランスで活動したバルザックは、膨大なエネルギーで現実の人間社会そのものを描き切ろうとした。

ドイツで生まれたゲーテは、シェイクスピアに憧れながら、神と悪魔の二項対立の物語『ファウスト』を書くことで、少女への憧憬という「悪」を創造し、神の許しを用意した。方法論的には、物語に哲学を導入したと言えるだろう。

ドストエフスキーのイノベーションは、これら全てを統合したところにある。神々の物語ではなく人間たちの物語、大勢の人間が登場する群像劇、悪を抱えた人間と神の関係性を描いたのが『罪と罰』である。

ややこしい話だがもう少しお付き合いいただきたいのだが、これを可能にしたのが自意識の発見である。

たとえば災害時に募金活動が行われ、多くの人々は善意からいくらか寄付するだろう。

今の僕がそうだ。

なかには、この募金活動の背景は怪しくないか、と考え躊躇する人もいるかもしれない。

これは少し前の僕。

さらに中には、募金するこの「私」というものに満足するために自分は千円支払うのではないのか、そんなことに満足する自分は許せないとあえて募金しない人もいるだろう。

10代の頃の僕がこのパターンで、こういうややこしいことを考えさせるのが「自意識」というものだ。

自意識の存在は現実の生活ではややこしいが、小説を圧倒的に面白くさせる。

腹が減ったからパンを盗んだ、というよりも何かしら自意識のドラマがありパンを盗んだと書く方が小説は厚みを増すだろう。

さらに、自意識は神を対象化することが可能であり、ドストエフスキーの小説に必ず登場すると言っていい無神論者たちは、激しく神とぶつかるのだ。

簡単に言ってしまえば、自意識の導入こそがドストエフスキー最大のイノベーションであった。その端的な例が『地下生活者の手記』だ。

神なき現代、面白い小説を書くためには「自意識」を導入する以外にないのである。そしてこいつを学ぶためにドストエフスキーの作品は最適なのだ。

この話を続けると長くなるので、次回のナイトカフェあたりでお話ししたいと思います。

いずれにせよ、小説を書くという行為は自分自身が真っ白な羊の群れの中の1頭の黒い羊だと自覚することだ。若い頃、この事実に気がつき僕は愕然とし、落ち込み悩んだ。しかし案ずる事は無い。『「私」物語化計画』は小説を書く人達の集団で、つまり全員が黒い羊なのだ。仲間はいるということです。

 

【『罪と罰』のストーリは六部構成】

この長編小説のストーリーを確認しておきたい。

今回の講義テキストは、まだ読んでいない人も理解できるための配慮であり、ちゃんと読んでくれた人たちにとっては「小説はこう読め」というサンプルでもある。

 

第一部

導入であり、基本的な登場人物とその事情が紹介され、最後に殺害が行われラスコーリニコフの犯罪の物語がスタートする。

まず───続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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