特別公開:世界文学のイノベーター達 04ゲーテが描いたロリータ小説が文学を拡大した 山川健一

悪魔と天使を合わせ持つ美しい存在、それが少女なのであり、少女の存在が小説の可能性を大きく広げたことに間違いはない──

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「私」物語化計画 2021年2月19日

特別公開:世界文学のイノベーター達 04ゲーテが描いたロリータ小説が文学を拡大した 山川健一

映画『ファウスト』はご覧頂けただろうか?

今週は、この映画をベースに話を進める。映画も見ていないし、『ファウスト』を読んでもいないという方にもわかるように書くつもりだが、ネタバレはご容赦ください。

先週、ドストエフスキーがゲーテから学び、さらに僕らも学ばなければならないゲーテの作品の成果が二つあると書いた。

一つは、宗教・思想・哲学をいかに小説に取り込むのかということであり、もう一つは、少女像をいかに構築すればいいのかということだ。

日本文学には近代まであまり例がないのだが、欧米の小説は同時代の思想を色濃く反映している場合が多い。サルトルの実存主義がなければカミュの『異邦人』は書かれなかっただろうし、ドストエフスキーにしても初期の社会主義の影響を受けている。

日本でも、ポストモダンと呼ばれる純文学のカテゴリーの小説は、「独特な自分など存在しない、それは高校生とか社会人といった記号に過ぎない。だからオリジナリティのある豊かな恋愛を現代で書くことなんて不可能だしあまり意味がない」といったいったポスト構造主義の強い影響下にある。

こうした思想・哲学との連携が最初に行われたのはゲーテからなのではないか。ゲーテはもちろんシェイクスピアの影響がいちばん強いのだが、ショーペンハウアーの影響も受けている。

ショーペンハウアーは19世紀にドイツで流行し、ゲーテばかりではなく、その哲学はニーチェに受け継がれた。当時支配的だったのはヘーゲル哲学だったため、なかなか受け入れられなかったらしいが、彼の思想はやがて哲学者ばかりではなく文学者にも影響を与えることとなる。小説家でショーペンハウアーの影響を受けたのは、ゲーテ以外だとトーマス=マンだろう。

ただ、日本語で思想や哲学を構築するのは非常に難しい。何故かと言うと「神」が不在だからだ。僕ら日本人の多くは仏教徒で、しかもかなりいい加減な仏教徒であり、一神教の文化圏の人たちとはかなり感覚が異なっている。

たとえばサディズム、マゾヒズムというものがある。SM小説という小説のカテゴリーもある。僕も何作か書いた。中には映画化された長編もある。

しかし、日本語でSM小説を書くのはほぼ不可能である。何故かと言うと「神」が存在しないからなのだ。サディズムもマゾヒズムも、絶対的な存在である神の視点から見て個人に罪が発生するわけで、日本には罪の意識が存在せず、したがってこうした小説は美学に傾倒していくしかない。

あるいは、一神教ではなく、自分なりの「神」を探すしかない。『ファウスト』の思想とは神と悪魔を対峙させることで成立しているわけだが、現代日本でこれをやるのは難しいということだ。この話をすると長くなり脱線してしまうので、興味がある方は僕が屋久島や奄美大島で書いた『神を探す旅』をお読み下さい。

 

【映画『ファウスト』の世界】

映画『ファウスト』は2011年の作品で、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督が原作の第一部をベースに制作した作品だ。生きる意味を失い魂の在り処を探している医者で大学教授の主人公が、恋をした少女の愛を得るべく悪魔と称される高利貸と魂の契約を交わしてしまう──というシンプルなラブストーリーになっている。

ストーリーは所々アレンジされているが、ゲーテの世界を巧みに伝えていると僕は思う。

この映画のストーリーを起承転結に沿って紹介してみよう。

 

《起/生きる意味の欠落》

主人公のファウスト教授は───続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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