特別公開:特別編・長い小説を書くために7 幽霊と人間はどちらが怖いか? 山川健一
この短編の構造を丁寧に読み解き、そいつを場所や登場人物を変えてトレースすれば、新しいホラー小説が誕生するだろう──
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「私」物語化計画 2020年11月6日
特別公開:特別編・長い小説を書くために7 幽霊と人間はどちらが怖いか? 山川健一
【二つの話】
ホラー小説の話の続きである。
以下の話はどちらが怖いだろうか。
〈A〉
幽霊が出ると評判の、峠にあるトンネルに行ってみようということになった。主人公は友人を誘い、男同士二人で深夜過ぎのドライブに出かける。
緩やかな坂道の勾配が少しずつ急になり、すれ違う車もない。トンネルの入り口がぽっかり口を開けているのが見えてくる。主人公は車のスピードを落とし、トンネルに入る。その時、ヘッドライトが白いワンピース姿の少女を照らす。
主人公は急ブレーキをかけて車を止めた。
少女は口元から少し血を流し、顔に痣があるのが見えた。右手をこちらに伸ばしている。助手席の友人が叫び声を上げ、主人公は反射的にギアをバックに入れると慌てて車をスタートさせる。トンネルを出たところでUターンし、猛スピードで坂道を下って自宅に帰った。
よくあるトンネルに幽霊が出る話である。
次の話の〈B〉は、途中までは〈A〉と同じストーリーである。ただし、その後の話が入る。
〈B〉
幽霊を見た後、友人は帰っていった。残された主人公は、朝方ようやく眠りにつく。
目が覚めてテレビをつけると、昨夜行ったトンネルで14歳の少女が殺されたというニュースが流されている。被害者の写真が写し出されたのを見ると、まさに昨夜ヘッドライトにとらえられた少女である。
彼女は幽霊などではなく、殺人犯に襲われ、裸足で逃げて来た生きている人間だった。少女は主人公の車に助けを求め、しかし彼が逃げてしまったため、犯人に捕まり殺されてしまったのである。
二つの話は、ドラキュラ型の恐怖が描かれている。
〈A〉の方には逆転がないが、〈B〉の方には恐怖の型の転換がある。ドラキュラ型(外部の恐怖)が、フランケンシュタイン型(因果の恐怖)に転化しているわけだ。
もしもあの時、自分達が少女を救助していれば、彼女は無残に殺されることはなかったのに──という恐怖である。
そしてここで注意しなければならないのは、〈A〉の恐怖の対象は幽霊、つまり超常現象だが、〈B〉の方は人間が引き起こした犯罪だということだ。そいつはあくまでも日常生活の枠の中に存在する。
二つの話を較べてみると、多くの人にとって〈B〉の方が怖いのではないだろうか。幽霊より人間の方が怖いということだ。外部にいたはずの幽霊に対する恐怖を、少女を見殺しにした自分自身の内側の恐怖が上回る。
僕らがこの二つの話から学ばなければならないことは二つだ。
- 恐怖の型が転換した方が怖い。
- 安易に超常現象を採用してはならない。
【『仄暗い水の底から』のマトリックス】
この作品は鈴木光司のホラー短編集、およびその映画化作品である。
鈴木光司さんといえば『リング』『らせん』が有名だ。『リング』は映像化され、ホラーブームの火付け役となった。その続編である『らせん』も映画化され大ヒットし、アメリカでは「日本のスティーブン・キング」と紹介された。
しかし『リング』も『らせん』も長編小説で、その構造を明らかにするのは非常に大変な作業である。『呪われた町』(スティーヴン・キング)と『屍鬼』(小野不由美)も長い小説で、同じように大変である。
もっとも『屍鬼』は『呪われた町』のマトリックスを精緻に分析しトレースすることで書かれているわけだが、これには何年もかかるだらう。
というわけで、今回は短編連作の『仄暗い水の底から』の中の「浮遊する水」を扱おうと思う。
この短編連作には水と閉鎖空間をテーマとした7編の物語が収録され、今回扱うそのうちの1編「浮遊する水」も映画化された。
「浮遊する水」の主人公は───続きはオンラインサロンでご覧ください)