特別公開:新しい小説を発想するための3枚の地図 山川健一
「私」という物語を探すことがすなわち、作家になるための最短コースなのだ──
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「私」物語化計画 2020年6月12日
特別公開:新しい小説を発想するための3枚の地図 山川健一
『「私」物語化計画』の基礎コースには『「私」という物語を探す旅』というタイトルをつけてある。講義がそこそこ進んだら種明かししようと思っていたのだが、実はこれは実践コースの『作家へのロードマップ』と同じ意味である。「私」という物語を探すことがすなわち、作家になるための最短コースなのだ。
【まず2枚の地図】
先週、新人がデビューするためには新しい小説を書かなければならないという話をした。新しい小説、小説の新しさとは何か。それを自分なりに知るためには地図が必要だ。
1枚の地図は自分史。
もう1枚の地図は文学史である。それも、自分にとって必要な文学史の地図をもっているかどうかは、とても大切な問題なのだ。文学史の地図に自分史の地図を重ねることによって、小説家は自分の書くべき世界を掴み取ってくる。かつてはほぼすべての小説家達がそんな地図を持っていた。
平安時代の王朝文学があり、武士階級の台頭とともに文学も変質していき、仏教の無常観などを取り入れて、日本文学は進化してきた。
日本文学は美意識を積み重ねることによって成立してきた。「あはれ」「をかし」に始まり、「わび」「さび」「雅」「風狂」「粋」などの美意識を積み上げそれを並列的に使用することで、作品世界を成立させてきたのだ。いわば花鳥風月の文学だ。
この美意識が断絶するように見えた近代文学があり、戦後文学があり、大江健三郎から現代文学が始まる。
すると、花鳥風月が案外まだ生きていることがそれぞれの作品から確認されるという予想外の幸運を目にすることにもなった。
文学史の地図で言えば、世界文学を無視することはできない。フランス文学があり、ロシア文学があり、ドイツ文学があり、アメリカ文学があり、さらに抽象的な現代フランス文学の隆盛があって、第三世界の文学がこれらにアンチテーゼを突きつけた──というような、歴史と世界地図をマッピングした文学史の「地図」を多くの小説家は持っていたのだ。
領域としては、本来は批評家や学者が専門とする分野のように見えながら、個々の小説家も口に出さないだけで、密かにそんな地図を片手に自分の作品を構想してきたわけだ。
新しい小説、小説の新しさというものも、幻の地図を見ることによって考え出されてきた。
先に結論を書いてしまうが、いつの頃からか、小説家達からそんな地図が失われてしまったように見える。
僕が小説を読み、書きはじめた頃「戦後文学を読んでないなんて作家を名乗る資格はない」などと言われた。「君は大岡昇平も読んでないのか?」と言われたりしたものだ。高校時代から今に至るまで、生憎なことに僕は大岡昇平の小説が嫌いなのだが。
話を戻すが、つまり、一種の教養主義が生きていたのだ。
ロック世代を自認する僕は教養主義を蹴散らしながら生きてきたわけだが(さらに書いてきたわけだが)、自分の中に密かに2枚の地図を隠し持っていた。年上の批評家達に心の中で「これはあんたには見せないよ」と言いながら。
ところがある時期から、地図を持たない作家たちが登場するようになった。あるいはそのカテゴリーそのものが、地図を必要としない領域のように見えることもあった。
僕は感嘆した。
そして考えた。
これでいいのか?
【芸術は論理的に進化する】
文学に限らずあらゆる芸術はその領域に独特の地図を持っている。
宗教画に始まった絵画の世界に印象派の画家達が光を持ち込み、聖書のシーンや天使でなく市井の人々を書いた。彼らは抽象画の一歩手前にまで進み、だがゴッホもゴーギャンもモネもセザンヌも、誰1人として抽象絵画に手を染めるものはいなかった。
ぎりぎりまで神を否定し、しかし自然というものへの尊敬の気持ちを最後まで維持したからである。
印象派の画家たちの次の世代から抽象絵画が始まり、脱線するのでごく短く書くが、極めて論理的に抽象絵画は構築されていったのである。突然変異的にピカソが生まれたわけではないということだ。そこには非常に明瞭な地図があったのである──続きはオンラインサロンでご覧ください)