特別公開:レトリックを身につける6──三島由紀夫『音楽』から心理の構造とメタファーを学ぶ 山川健一

日本文学からも一つ、参考例を挙げておこう。三島由紀夫の『音楽』である。

この長編小説は『婦人公論』に連載された、いわばエンターテインメントで、三島作品の中で傑作というわけではない。当時流行していたフロイトの精神分析の学説を下直にした、むしろわかりやすい構造を持っている。『金閣寺』や『豊饒の海』四部作のような三島由紀夫ならではの長編というわけではなく、通俗的な読み物でもある、しかしだからこそ構造分析が容易である。

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「私」物語化計画 2020年3月6日

特別公開:レトリックを身につける6──三島由紀夫『音楽』から心理の構造とメタファーを学ぶ 山川健一

【三島由紀夫による性のメタファー】

日本文学からも一つ、参考例を挙げておこう。三島由紀夫の『音楽』である。

この長編小説は『婦人公論』に連載された、いわばエンターテインメントで、三島作品の中で傑作というわけではない。当時流行していたフロイトの精神分析の学説を下直にした、むしろわかりやすい構造を持っている。『金閣寺』や『豊饒の海』四部作のような三島由紀夫ならではの長編というわけではなく、通俗的な読み物でもある、しかしだからこそ構造分析が容易である。

精神分析医の「私」が、不感症に悩む女性患者「弓川麗子」の治療を通して、彼女の深層心理の謎を探っていくというストーリーで、小説はこの精神分析医の手記という形をとっている。

精神分析医の主人公が探偵で患者の「弓川麗子」がいわば犯人のサスペンスとしても読める。

少し長くなるが小説というものの構造とメタファーを学ぶためにストーリー(概要)を紹介するので、ネタバレが嫌な方はとばしてください。

 

日比谷で診療所を開いている精神分析医の汐見和順のもとに美しい患者、弓川麗子が訪れる。二四、五歳である。麗子は食欲不振、嘔気、軽い顔面チックがあると言い、「音楽がきこえない」と訴える。これは後に嘘だということが判明する。「オルガスムス」(昔はこう言いました)を感じることが出来ないと恥ずかしくて言えなかったので、喩えでそう言ったのだという告白がある。

問診によると、彼女の実家は甲府市で、親が許婚と決めた又従兄から無理矢理に処女を奪われ、彼を嫌ってS女子大卒業後も帰郷せずに東京で貿易会社の事務員に就職し一人暮らしをしているのである。今は会社で知り合った江上隆一という恋人がいる。「音楽がきこえない」というのは、江上との性行為で「オルガスムスを感じない」という意味だと麗子は打ち明ける。江上を愛しているにもかかわらず、イクことが出来ない。それによって恋人に「本当は愛していないのではないか」という猜疑心をもたれ、愛想をつかされるのではないかと悩んでいたのである。

これが『音楽』の冒頭の欠落であり、三島由紀夫は心理的な構造を巧みに構築しながらストーリーを展開していく。

作中には患者の麗子が汐見医師に送る手紙も挿入される。子供の頃の記憶や心理的な夢に出てくる「鋏」の挿話などが紹介され、これがフロイトの学説そのものなので、小説としてはいささか浅いよなと思う読者は多いはずだ。

麗子は恋人の江上にわざと見られるように、汐見との仲を勘違いさせるような嘘の日記を付けたりもしており、この辺りの構造も分かりやすいのだが、学ぶべき点は多いはずだ。

やがて探偵である精神分析医は、麗子の本当のトラウマに迫っていく。麗子には10歳上の兄がおり、少女の頃にこの兄に一度愛撫されたことがあり、昇仙峡の宿で兄と伯母との性行為を見てしまったこともある。

その後、伯母との関係が親や世間に露呈してしまい兄は失踪してしまったのである。

甲府にいる許婚の又従兄が肝臓癌で危篤となり、憎んでいた男であるにもかかわらず、麗子は看病に帰る。そのことを手紙で知らせてくる。死にゆく病人であるかつての許婚を献身的に看護しながら、聖女のような気持になった彼女は瀕死の彼の手を握り「音楽」を聞いたのだという。

麗子は一度帰京し汐見の診療所を訪ねた後、伊豆南端のS市に一人旅に出かけ、旅先から汐見に手紙を送った。麗子は観光ホテルで不能に悩む青年・花井と知り合い、数箇月後、再び診察室を訪ねた麗子は症状が再発し、ヒステリー状態である。

麗子は、しばらく花井と麹町のホテルに2人で住んでいたとか、花井の不能が治ると彼を嫌悪し、自由を与えるふりをして彼から逃げ出して来たのだが追われているなどと話す。だかどうやら、これらの話は嘘のようだと汐見は感じる。

彼女のトラウマの中心には兄がいるのだろうと感じた汐見は、兄に会ったのではないかと聞いてみる。

麗子は汐見の指摘の通り、失踪した兄に会っていた。実は麗子は江上と知り合う前に、失踪していた兄に会っていたのである。

彼女が女子大の寄宿舎で暮していた頃、兄が訪ねて来たのである。兄は昔とすっかり変わりヤクザっぽい風体になり、安アパートに酒場の女と暮していた。麗子を妹だと信じない女は嫉妬して、酔って兄と口論となり、麗子が本当の妹か証明するために目の前で2人で寝てみろと言う。女との口喧嘩の末、兄は突然、麗子に接吻し襲いかかる。麗子は驚愕するが、この屈辱と恐怖の行為の中に….(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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