特別公開:「文学的正義」はいつも個人/生産性のない弱い側に立脚しなければならない 山川健一
『今週は予定を変更して、「正義」についての補講というか、もう一度だけこの問題について考えてみようと思う。
前の講義で触れたのは、
「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」という、マイケル・サンデル教授が提出した正解のない問題だった。
ただし普通に日常生活を送っている限り、こんな究極的な問題にぶつかることはない。いわば机上の空想的な議論に過ぎない──と僕も思っていた。
しかし…』
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「私」物語化計画 2019年10月18日
特別公開:「文学的正義」はいつも個人/生産性のない弱い側に立脚しなければならない 山川健一
今週は予定を変更して、「正義」についての補講というか、もう一度だけこの問題について考えてみようと思う。
前の講義で触れたのは、
「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」という、マイケル・サンデル教授が提出した正解のない問題だった。
ただし普通に日常生活を送っている限り、こんな究極的な問題にぶつかることはない。いわば机上の空想的な議論に過ぎない──と僕も思っていた。
しかし台風19号が日本列島に上陸し、この問題が圧倒的なリアリティを持って僕らに迫ってきた。不謹慎な言い方だが、「正義」について考える重要な機会である。
言うまでもなく、水門を閉めるべきか──という治水行政の問題である。
いわゆるトロッコ問題だ。
トロッコ問題とは、2010年に亡くなった哲学者フィリッパ・ルース・フットが提唱した設問で、「道徳心から生まれるジレンマにどう対処するのか」というのがテーマの倫理学の思考実験だ。
思考実験というのは、実際に試してみることができないので、頭の中で想像するだけの実験のことだ。
トロッコ問題の思考実験とは、こうだ──。
《線路上を走るトロッコが制御不能になり、そのまま進むと5人の作業員が確実に死ぬ。5人を救うためにポイントを切り替えると1人の作業員が確実に死ぬ。あなたは線路の分岐点に立っている。さて、どうしますか?
何もせずに5人を見殺しにして1人を救うか、1人を犠牲にして5人を救うか。
その1人があなたの息子だったとしたら?
あるいはその1人があなたの娘を殺した殺人者だったとしたら?》
この思考実験で考えなければならないのは「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という問題である。
トロッコ問題には、様々なバリエーションが考えられる。
《あなたはボートで5人の溺れた人を助けに向かっている。しかし途中で溺れている1人の人間を発見した。その人を助けていれば5人はその間に溺れ死んでしまう。その人を助けて5人を諦めるべきか、それとも目の前の1人を見殺しにするべきか?》
《病院に5人の患者がおり、それぞれが異なる臓器の移植を必要としている。そこに臓器はいずれも健康な患者が現れた。彼を殺して臓器を移植すれば5人を助けることができる。彼を殺して内臓を取り出すべきか?》
普通こうした極端な状況に僕らが身を置くことはあまりない。しかしあの嵐の夜、12日土曜日に、僕らはまさにこのシビアな問題に直面したのではないだろうか。
翌日のテレビ番組で、橋下徹元大阪市長がこう言った。
「治水行政はシビア。都市部に被害が出ないよう上流部をあえて氾濫させるという考え方がある。(大阪を例にすれば)淀川の氾濫を防ぐため瀬田川堰を閉め琵琶湖を氾濫させる。いざというときは奈良県側で氾濫させる」
都市化され生産性が高い、いわば日本の経済を支えている下流地域を守るために上流部であえて氾濫させるというわけだ。
緊急放流するわけだ。
あるいは、特定の水門を閉めるという方法もある。
元大阪市長のこの発言は当然のことながら視聴者にショックを与えた。
現代の民主主義社会では、基本的に人間は平等だと考えられている。上流下流に差があってはならないというのが建前だ。しかし現実はそうではないのだ、ということを橋下氏の発言が露わにしたのだった。
その後SNSには、上流地域の堤防は決壊しやすいようにわざと脆弱に作られている──というような情報がまことしやかに流された。
そして今も「地方」には濁流にのみ込まれ人々が身動き出来ない箇所が広範囲にわたってある。
治水行政という名の「正義」を、僕らは容認しなければならないのだろうか。
あの夜のことを振り返ってみよう。
【10月12日土曜日、嵐の夜】
台風19号が上陸した嵐の夜、僕は世田谷区にあるマンションの仕事部屋にいた。2階部分である。自宅は千葉県内にあり、娘と電話で話して「避難はせずに二階部分にいる」ということにした。
正直に書くが、僕は……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)