特別公開:物語論から学ぶ5 神話『オイディプス』のメッセージは「父を殺して母を犯せ」である。 山川健一

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『 今週はジョーゼフ・キャンベルのナラトロジーを『千の顔を持つ英雄』をベースに学んでみようと思ってましたが、予定を変更します。

キャンベルはアメリカ合衆国の神話学者であり、比較神話学や比較宗教学で知られる。だからまずは神話とは何かという話から入らないとな、と思ったからです。

神話は現代小説とはかなり趣が異なる。しかし現代小説や映画やゲームや演劇などは、「創作」のルーツにある神話を忠実に踏襲してる場合が多い。』

 

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「私」物語化計画 2019年8月2日

特別公開:物語論から学ぶ5 神話『オイディプス』のメッセージは「父を殺して母を犯せ」である。 山川健一

今週はジョーゼフ・キャンベルのナラトロジーを『千の顔を持つ英雄』をベースに学んでみようと思ってましたが、予定を変更します。

キャンベルはアメリカ合衆国の神話学者であり、比較神話学や比較宗教学で知られる。だからまずは神話とは何かという話から入らないとな、と思ったからです。

 

キャンベルは幼い頃、父親に連れて行ってもらったニューヨークのアメリカ自然史博物館で展示されていたネイティブ・アメリカンの工芸品を見てその文化に魅了され、彼らの神話を調べるようになった。

その後ギリシャやインドの神話についても偶然に導かれるように魅了され、それらが彼の稀有な研究の成果になった。

というわけで、そもそも「神話」とは何かということを押さえておかないと話がちんぷんかんぷんになってしまうので、今週はまず神話について考えてみましょう。

神話は現代小説とはかなり趣が異なる。しかし現代小説や映画やゲームや演劇などは、「創作」のルーツにある神話を忠実に踏襲してる場合が多い。

 

ジョーゼフ・キャンベルの神話論で特徴的なのは「英雄」の存在に注目し、それぞれの神話に共通の構造を見出したということだろう。

キャンベルは、英雄の旅は共通の構造を持っていると言うのである。

英雄神話は、3つのパートに分けられる。

 

1. 主人公は別の非日常世界への旅に出る。
2. イニシエーションを経験する。
3. 元の世界に帰還する。

 

これは「行きて戻りつ」という物語論の基本に則しています。これをもう少し詳しく分けると、8つのパートに区切ることができる。

 

【英雄神話の構成】
1. Calling(天命)
2. Commitment(旅の始まり)
3. Threshold(境界線)
4. Guardians(メンター)
5. Demon(悪魔)
6. Transformation(変容)
7. Complete the task(課題完了)
8. Return home(故郷へ帰る)

 

プロップの『昔話の形態学』と異なるのは、彼のロジックがユングの心理学を基調としたものである点だと思う。

キャンベルは「英雄神話は人間の自己実現のプロセスと対応している」という発想を前提とし、古今の英雄神話は単一の形式に還元できると述べている。

これを単一神話論と呼んだりします。

 

今週はこれ以上詳しく触れないが、キャンベルはこうした考え方に基づき、さらに精緻に神話を分析しているのである。

 

【神話・フロイト・ユング】

 

さて、世界で最も有名な神話は何だろうか。おそらく『オイディプス』ではないだろうか。最も古い神話としてギリシャに存在し、さらにこれをソフォクレスが『オイディプス王』という戯曲として完成させている。

今年の10月には市川海老蔵、黒木瞳、森山未來などによりシアターコクーンで上演されるとのことだ。市川海老蔵がオイディプスの役である。

『オイディプス』を貫くメッセージは苛烈で、シンプルである。

 

《父を殺して母を犯せ》

 

つまりそういうことだ。

ちょっと過激すぎるようだが、神話とはそういうものだ。「父を殺し、母を娶るであろう」という恐ろしい予言から父のライオス王に捨てられ、放浪の旅を強いられた古代ギリシャ・コリントスの王子オイディプスの物語──それが『オイディプス』である。

このオイディプスの神話から、心理学者のフロイトはエディプス・コンプレックスという概念を抽出した。

男の子が父親を殺し、母親と性的関係を持ったオイディプス王の悲劇が、フロイトの言う「エディプス・コンプレックス」の語源になっていることは広く知られているだろうと思う。

極端なストーリーのようだが、『源氏物語』における光源氏と藤壺の関係も似たような展開で、《父を殺して母を犯せ》という物語の枠組みは人間の本質に触れているのかな、という気がしないでもない。

もっとも、正直に書けば僕にはさっぱりわからない世界である。

神話は、かくありたいと願う人々の願望を忠実に再現したものである──という説がある。と言うか、ほとんどの神話をめぐる本にそう書いてある。

本当かよ、と僕は疑う。

自分自身の潜在意識のどこを探っても《父を殺して母を犯せ》という欲望など皆無である。さらに僕は神話に強く結びついたフロイトの学説も疑う。

愛らしい赤ん坊が指しゃぶりをしている。なんてかわいいのだろうと思う。しかしフロイトはそれを「口唇性欲期」なのだと言う。

おいおい、と僕は思う。物騒なことを言うなよ、と。

子どもに幼児性欲理論(infantile sexuality)をあてはめ、口唇期、肛門期、男根期(エディプス期)があるとフロイトは言うわけだ。

そもそも僕は心理学というものが嫌いだし、フロイトの学説が正しかろうが間違っていようが、それが日常生活に影響を及ぼすことはほぼ無いだろう。

我儘な僕がここで自分の個人的な好みを書いているようだが、実は案外そうでもない。フロイトは、僕らが「文学」と感じているものからは程遠い存在なのではないだろうか。

ということは、神話と呼ばれる物語は文学が発生する初源に位置しながら、もしかしたら僕らが「文学」と感じているものからは程遠い存在なのかもしれない。

ちなみに、それが真っ当な心理学かどうかという評価は別にして、僕はカール・グスタフ・ユングが好きだし、ユングの学説は極めて文学的であると感じている。僕がジョーゼフ・キャンベルの世界にすんなり入っていけたのは、キャンベルとユングの親和性が高いからだと思っている。

 

わかりやすいように、伝家の宝刀を抜くことをお許しいただけますでしょうか?

フロイトはロックしていない。

カール・グスタフ・ユングはロックそのものだ!

 

しかしそれでも、「神話」とは何かということをまず僕らは学ばなければならない……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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