夏休み特別企画/星空を見上げながら考える 04 僕らが書く小説はゼロ・ポイント・フィールドに影響を与えている 山川健一

──僕らが書き記すすべての小説は無駄ではない。そいつはゼロ・ポイント・フィールドに時を超えて影響を与えているである──

 

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2024年8月23日

特別公開:夏休み特別企画/星空を見上げながら考える 04 僕らが書く小説はゼロ・ポイント・フィールドに影響を与えている 山川健一

【死後はほんとうに「無」なのだろうか】

今夜も雨が降っている。さっきまで、時折雷鳴も轟いていた。

グアム付近にある熱帯低気圧が、台風10号になった。

台風10号は発達しながら北上し、早ければ26日に本州のどこか、もしくは四国を直撃する恐れが出てきてる。

今年の夏は台風と地震に怯えて過ごさなければならない。さらに熱波が列島を襲い、夜の散歩の時でさえ暑い。何かが狂ってきているのだろうか?

その危ういバランスを保っている地球の上で、僕は考える。死後はほんとうに「無」なのだろうか、と。

十代の頃から、ぼくは密かな怖れと共にずっとそんな疑問を抱きつづけてきたような気がする。

この疑問について、自分自身の三度の神秘体験をベースにいろいろなことを考えてみたりする。このことは既に書いたので繰り返さない。

そのいわば神秘体験を振り返り、それだけではなくさらに科学的な側面からも考えてみた結論は──。

科学の世界では、長らく死後は「無」だとされてきた。だから常識が必要な昼間の世界では、僕らは死についてあまり考えないようにしてきた。死後が「無」なら、何を考えても無駄だからだ。それでも夜の時間帯に一人で死について考えることがあり、そんな時は刹那的な気分に落ち込んでしまう。

これは、十九世紀末に宗教というものが葬り去られ、しかし神を代替できるほどには科学が進歩していなかった十九世紀後半から二十世紀までに特有な、不幸な状況なのではないかと僕は考えている。

その後遺症に、人類はまだ悩まされているというわけだ。

十八世紀の科学者であるアイザック・ニュートンが描いたのは、機械的な宇宙だった。宇宙というものは、人間が存在しようがしまいが、自動巻の時計が時を刻みつづけるように存在しつづける。

そこでは、一人の人間の存在などゴミのようなものでしかない。

チャールズ・ダーウィンが十九世紀に発表した『種の起源』によれば、生物というものは自然淘汰と突然変異によって進化する存在である。

適応するか、滅びるか。

それは進化の偶然によって左右される。

生物の本質は“生き残り”でしかないのである。

そこには、善とか悪とか生きる目的なんて概念が入り込む余地などない。

貪欲にランダムに、しかも目的もなく進化しつづける孤独な存在が生物なのだ。

ニュートンによってもダーウィンによっても、死後は「無」でしかないことになる。

だが二十世紀におけるアルベルト・アインシュタインの登場は、科学の世界に革命をもたらした。一般相対性理論の「時空の歪み」というイメージは、物理学の枠を超えて世界を変えたのだと言ってもいいだろう。

やがて一九二〇年代半ばに、量子力学が登場する。当時既にスーパースターだったアインシュタインでさえのけぞるような驚くべき発見が、量子力学が扱うミクロ(微小)の世界で相次ぐことになる。

そして、今。

二十一世紀になってから科学の最先端は、遂に面白い場所に辿り着きつつある。アインシュタインの登場を遥かに凌駕するような、科学の革命の時代をぼくらは生きているのだ。

人類にとって、これはなんと幸運なことなのだろうか。

量子というのは「物理学で扱われる長さ、質量、時間、電流といった変数の最小単位」のことだ。こういう物質世界のいちばん小さな場所が、それまでの常識を覆すような、いわば『不思議の国のアリス』的な世界だということがわかってきたのだ。

たとえば────続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

 

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