会員の皆さんの作品を紹介する 04 楠章子の新刊『スタート』(あかね書房)は児童文学の金字塔である 山川健一

──この小説は児童文学の金字塔であるばかりでなく、文学というものの価値ある達成を読者である僕らに鮮やかに告知している──

 

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2024年4月5日

特別公開:会員の皆さんの作品を紹介する 04 楠章子の新刊『スタート』(あかね書房)は児童文学の金字塔である 山川健一

 

著:楠章子/イラスト:みなはむ『スタート』(あかね書房)著:楠章子/イラスト:みなはむ『スタート』(あかね書房)』

 

【こんな展開があり得るのか?】

楠章子の新刊『スタート』(あかね書房)に、僕は衝撃を受けた。この小説は児童文学の金字塔であるばかりでなく、文学というものの価値ある達成を読者である僕らに鮮やかに告知している。

最初の「駅・シイ」を読み終えたところで、僕はこの作者の力技に唖然とした。

こんな展開があり得るのか?

この設定で結末まで走れるのか?

心配は杞憂であった。安易なハッピーエンドを巧妙に避け、物語の全体を僕ら読者への呼びかけとして成立させている。素晴らしいエンディングである。

僕は楠章子作品はほぼ全作読んでいるが、この『スタート』が著者の最高傑作であることに間違いはない。

登場人物である小学生達の感情のうねりに共鳴して思わず涙ぐみ、巧妙な伏線を拾い上げる職業作家の手さばきの正確さに唸り、連作を通じてこの物語世界の中核に隠された「秘密」が開示されるのを心待ちにした。

そして最後の見開きページは、暗闇の中に佇む5匹の猫のイラストが描かれ、文字は白抜きである。凄みがある。この1冊の本には、造本にまで仕掛けがあったのだ! あかかね書房、お見事!

 

〈猫たちは、名前を呼ばれるのを待っている。あなたがすくってくれるのを待っている。〉

 

本書は、6作の短編から成る連作だが、ひとつの長い小説としても成立している。ネタバレになるといけないので、出版社からの内容紹介を引用する。

 

 母から支配され祖母の介護の手伝いを強いられているシイ、古いアパートで母と新しい生活をはじめるイチ、自分の性への違和感でいじめられているサン、アルコール中毒の父との生活を息苦しく感じているムギ、幼なじみのシイの様子に目をつむり罪の意識を感じているナナ。生きづらさをかかえる五人の前に、猫をつれた怪しい男があらわれ、救いの手を差し伸べるが……。今すぐそこにある、子どもたちの物語。

──楠章子『スタート』(あかね書房)

 

この紹介文にある「今すぐそこにある、子どもたちの物語」というのが重要である。

日本では貧困化が進み、約235万人の子どもたちが満足にご飯が食べられない環境にある。飢餓経験率は5.1%(20人に1人)、相対的貧困率は15.7%(7人に1人)である。

子ども達の物語、子ども達の危機は今すぐそこにある。楠章子は、そんな現実を掬い上げようとしたのだ。

親からの虐待、虐待とまではいかないまでも父親がアルコール中毒だったり、母親の支配欲であったり、トランスジェンダーの悩みを抱える子どももいる。

そこに登場するのが猫男である。猫男はグリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」のようでもあり、悪魔のようでもあり、同時に救済者でもある。この猫男の造形は勧善懲悪の枠組みの中にはなく、そこが絶妙である。

この小説は一種のファンタジーなのだが、作者がしっかりと現実に錨を下ろしているからこそリアリティがある。Facebookに、ご本人がこんな書き込みをしている。

 

──この作品の出版をあきらめる気はなくて、いつか必ずと思っていました。あきらめたくなかったのは、小学生の時に仲良くなった男の子のことを思い出すからです。彼は暴力をふるうお父さんが怖くて、家にいられない子でした。私はそんな彼と毎日のように公園で遊んでいましたが、日が暮れれば帰らなくてはなりません。すると彼は、決まって「もう少しだけ」と手をにぎってきました。その手をふりはらい家路を急いだ罪悪感、何も出来なかった後悔、無力だった悔しさ。あの感情は何十年たっても消えません。彼への思いは、公園、ムギの物語として書きました。(楠章子)

 

例えばこの楠章子の『スタート』のように、児童文学の世界には子ども達に向かい合おうとする良質な作品がいくつかある。そこでは文学が本来の役割を果たしている。脱帽するしかない。

宮下恵茉の『9時半までのシンデレラ』は読みましたか? あの作品の主人公は中学3年生の少女達である。「どこにでもいる中学生の日常生活」というのがワールドモデルなのだ。だからこそ児童文学なのにヒリヒリするような危険な現実に向かい合うことになる。それを読んで僕は深く感動した。

主人公が中学生であり、同年代の少女と少年が登場人物なので、ストーリー・テリングには自ずと制約がある。しかしそんな制約の中でこの作家は深く大きな世界を紡いだのである。

思うに、『スタート』の小学生たちは、『9時半までのシンデレラ』の中学生たちに繋がっていくのだろう。

 

【構造分析】

ナラトロジーで『スタート』を構造分析してみよう────続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

 

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