アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』の影響を受けて僕は短編を書いた(参考にしたい先行者の作品) 山川健一
たくさんの小説を読み好きな作品が増えていけばいくほど、あなたが思いつくストーリーは豊かになる──
次代のプロ作家を育てるオンラインサロン『「私」物語化計画』会員用Facebookグループ内の講義を、一部公開いたします。
ご興味をお持ちの方は、ぜひオンラインサロンへご参加ください。
→ 毎週配信、山川健一の講義一覧
→ 参加者募集中→ 参加申し込みフォーム
「私」物語化計画 2022年9月23日
特別公開:アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』の影響を受けて僕は短編を書いた(参考にしたい先行者の作品) 山川健一
【小説とはお話である】
今まで言ってきたことと、反対のことを書く。「小説」とは「お話」である。
小説とは哲学や思想やエッセイである前に、お話でなければならない。
つまりストーリーがなければならない。
「これはまだお話で、小説になっていない」と僕はよく会員の方々の原稿を講評する。
つまり小説は論理的な構造を持っていて、主人公は外圧によって背中を押され必然的に結末の一点に追い込まれていくのだ──それが小説の持つ魔力だと僕は言いたかったのだ。
今もそう思っている。
だが、少し言い過ぎたかもしれないと最近は反省しているのだ。会員の方が書く小説の、いわばストーリー性が希薄になっているなと感じる。エンターテインメントやファンタジー、児童文学や純文学、すべてのカテゴリーの小説に必要なのは面白い「お話」としての側面だなのだ。
面白い小説でないと誰も読んでくれない。
哲学や神秘思想を前面に出すと、多くの場合、退屈なストーリーになってしまう。いくら主人公の内面でシュトゥルム‐ウント‐ドラング(疾風怒濤)が吹き荒れていたとしても、それをわかりやすくストーリーに乗せないと、読者は先を読んではくれないだろう。
推薦作に採用される皆さんの短編小説は、どれもわかりやすいストーリーを持っている。それが大事だ。
そして、面白いストーリーを思いつくためには、そんな経験を積み重ねることが大事──なのではない。人間が一人で経験できることなどたかが知れているからだ。
経験よりも、読書することが大事なのだ。
そんなわけで、《小説の作法》《ジェノバからハッピーエンドへ》《カウンセリング(なぜ書けないか)》と共に、《参考にしたい先行者の作品》という項目を設けたのである。
【「怒れる若者達」と呼ばれたシリトーの文学】
たくさんの小説を読み好きな作品が増えていけばいくほど、あなたが思いつくストーリーは豊かになる。あまり長い小説でなくてもいい。短編や中編を読み漁り、いろいろなパターンを自分の引き出しにしまっておき、必要な時に取り出す。それは真似をするとかパクるということではなく、ごく自然に好きな作家の影響を受けたのだと考えればよい。
今週扱うのは、そんな具合に僕が影響を受けたアラン・シリトーで、具体的にどんなふうにシリトーを自分の作品に取り込んだのかを解説というか、サンプルとして告白する。
まず、シリトーとはどんな作家なのか。
シリトーは──続きはオンラインサロンでご覧ください)