物語における「敵」と「偽敵」について 3 山川健一

「偽敵」と「敵」は、小説の構造の最も下の階層、無意識領域に存在する──

 

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「私」物語化計画 2021年11月19日

特別公開:物語における「敵」と「偽敵」について 3 山川健一

【偽敵、デコイ、悪の創造──】

前々回は、Nさんの作品をテキストに「偽敵」(にせてき)と「敵」の構造を解説したのだが、こんな指摘を頂いた、

「サンプルとしては少し分かりづらいかなぁという気がします。本敵、偽敵という枠組みに収まるタイプの作品ではないような……? 私だったら、偽敵は老い、本敵は男、と解釈します。敵である老いを直也との関係で克服したと思ったらそうではなかった。夫も息子も直也もろくでもなかった。敵との戦いに敗北したからキミ代は死ぬ。というふうに読みました」

ま、そうだよなと反省。ちなみに、メールをくれたのは娘の山川沙登美です。

で、今回扱うIさんの作品はさらに「偽敵」と「敵」の構造がわかりにくい。Iさんと今進行している作品の打ち合わせを電話でした時、Iさんも「(この作品には)敵がいないんですよね」と仰っていた。

しかし、この心温まる短編小説にも、実は「偽敵」と「敵」は存在するのである。「偽敵」と「敵」は、小説の構造の最も下の階層、無意識領域に存在する。プロットよりも下の階層に位置している。だから見えにくい。だがそれをきちんと見ることが出来るようになれば、あなたの作品は一気に深さを獲得するだろう。

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冒頭の「デコイの魔術とは」にこうある。

デコイ【decoy】とは、獲物を欺き、おびき寄せるための囮のことです。もともとはカモ猟などに用いる実物大の模型の鳥のことでしたが、転じて軍事分野で目くらましに使われる技術や道具を意味するようになりました。また、サッカーやアメフトにおいてはディフェンダーを引きつけるための囮の動きを指します。つまり、何かを探している人の気を散らし、目標から注意を逸らすための仕掛けです。偽物を使って目標を誤認させるタイプや、障害物で情報を撹乱するタイプなどがあります。「どんでん返し」のテクニックはまさにこのデコイの技術を物語専用に具体化したものだと言って差し支えないでしょう。その本質は、人間の習性を利用して、戦いや犯罪やその解決を行うための罠です。それはまるで魔法のように人の心を惑わし、幻想で翻弄した挙げ句、一瞬のうちに虚構を打ち消します。後に残された読者は頭が真っ白になって立ち尽くすのみ。あなたもこの禁断の秘技を身につけたいと思いませんか? 読者や観客をどんでん返しであっと言わせてみませんか? 日常生活ではあり得ない驚愕に満ちた「デコイの魔術」の手引書を、今あなたのお手元にお届けします。

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さすがぴこ蔵師匠、デコイとは秀逸なネーミングである。僕が言いたいのも、このデコイに近い。偽敵、デコイ、悪の創造──どう呼んでもいいわけだが、それは「隠された父の発見」と密接に関わっている。だから昼間の光の下では見えない。

デコイと表現するとエンターテインメントに近く、隠された父の発見と言えば純文学に近いのかもしれない。だが、両者は同じものだ。

 

【関係性の中で生まれる父と「攻撃者との同一化」】

隠された父の発見──これは物語にとってとても重要なキーだが、父は彼一人で存在しているわけではない。彼には妻、つまり主人公にとっての母親が存在する。一組の男女が出逢って子供が生まれ、家族が形成される。こうした関係性の中で彼は「父」になるわけで、父親の秘密は彼自身の中ではなく関係性の中にこそ存在する。

個人的な話で申し訳ないが、僕は高校生の頃によく父親に殴られた。弟はまだ中学生なのに殴られた。今で言うDVである。

父親が亡くなってから、そのことを『老いた兎は眠るように逝く』と言う小説に書いた。

 

山川健一『老いた兎は眠るように逝く』

 

殴られる息子にとって、加害者である「父」は敵であり「悪」である。しかし、それを見ながら止めようともしなかった母親は?

本当の敵は母親だったのではないか、と大人になった僕は気がついた。専業主婦だった母親は「夫」という会社に就職したようなもので、夫は上司でもあった。したがって、夫と息子がぶつかり合う時、辞表を出す覚悟がなければ(離婚する覚悟がなければ)、夫の側に立ち無言を貫くしかなかったのだ。

あれだけ父親に殴られたというのに、父が鬼籍に入った後「なんで一度も止めなかったの?」と母親に聞くと「殴るなんて、そんなことがあったかしら? 覚えてないわね」との返事で、唖然としたことがある。自分に不都合な記憶を無意識裡に消去したのだろう。

そして僕は気がついたのだ。暴力をふるう父親は偽敵でありデコイであり、母親こそが本敵であり本物のカモだったのだ。

もちろんこれには反対の関係性もあり得る。

母親が毒親で、父親がそれを黙認しているケースは多い。「言うことを聞かないなら、あなたが欲しがっていた○○は買ってあげない」などと子供を支配する母親は多い。「あなたのためを思って言っているのよ」と言いながら、恋人選びにまで口を出してくる。

子供の本当の気持ちよりも自分の見栄を優先しようとする。子どもを罵倒したり、時には叩いたり、兄弟姉妹で格差をつける──こんな母親は、子供は自分の所有物だと思っているのである。

親から虐待されて傷ついている子供は──続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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