特別公開:功利主義、リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム──4つの正義 山川健一

次代のプロ作家を育てるオンラインサロン『「私」物語化計画』会員用Facebookグループ内の講義を、一部公開いたします。

『前回の設問は、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による超人気の哲学講義“JUSTICE”で実際に使われた設問だ。日本でもその著書がベストセラーになり、テレビ番組でも扱われているのでご存知の方も多いと思う。マイケル・サンデルは1953年生まれで、僕と同い年である。専門は政治哲学だ。
正義の問題について議論する時、たとえばこんな設問がよく取り上げられる。

《1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?》』

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「私」物語化計画 2019年9月27日

特別公開:功利主義、リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム──4つの正義 山川健一

 

前回のテーマは、お二人からしかコメントが入らなかったことを見ても、難解だったようです。いや難解と言うよりは居心地が悪い、喉に魚の小骨が刺さったような不愉快さを感じる──という感じだったでしょうか。

まず河沿桜子さんと中曽根亜紀さんの言葉に耳を傾けましょう。コメント欄に全文が記されているので、その大切なところを僕がピックアップさせていただきます。

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【ケース.1 代理母】

赤子の「命」を商品という価値に置き換え、お金を払えば、赤子を手にするシステム。

発注する夫婦の生き方が問われる。

「子供がいないと、幸せじゃないのか?」

「子供を望んではいけないのか?」

一方で、生んでは捨てる親もいる。

「養子などではいけないのか?」という、提案もされるだろう。

そこに、愛の形を求めて、血のつながりに拘るからこそ、代理母というものが存在する。

代理母も障害を持って生まれるケースもある。

このケースの正義と悪に境界線を入れるとしたら、

《正義》 上記のことをシビアに受け止め、全てのケアに責任を持つ。
《悪》 途中、思う通りにならないと金で解決し、破棄してしまうこと
(河沿桜子)

 

女性が自分の体を資本にして、ビジネスを行う。インド人の女性にとっては「正義」(生きていくための手段)。外野(それをお願いした人でない、人々)から見れば「正義でない」。

《正義》 本人が生きていくための、金銭を稼ぎ、経済とヒトの動きに貢献すること。
《悪》 生命をお金を通して、これ(だけ)が良いわ、と躍起になってしまうこと。
(中曽根亜紀)

 

【ケース.2 クロサイを撃つ】

人間は勝手で歪んでいる。

絶滅に追いやった状況を作り出した側なのに、クロサイを管理するだなんて。

運営するために、お金を得るために、命あるものを殺すならば、そんな牧場など、必要ないのではないのか? そう感じる。

自然にあるもの全て平等。

人は自分達が一番優れていると勘違いしている。

《正義》 こんな管理が通るなら、人が手を出すべきではない。
《悪》 人間が作り出した絶滅危惧の状況を解決するために、お金を払えば殺せるというシステムそのものを構築するもの、全て。
(河沿桜子)

 

クロサイの生体数を守り、それらをとりまく生物を守るため(だろうと推測)にも必要悪。誰かが誰かの「悪者」なんだと思うと、寂しい。

《正義》 クロサイの個体数を守ろうとする「活動」一般。
《悪》 生殖能力を失ったクロサイを殺せばいいじゃないか、と実行すること。
(中曽根亜紀)

 

【ケース.3 コンシェルジュ・ドクター】

金持ちだけが、生き残る権利があり、価値がある人間とそうじゃない者に別れるような、嫌な空気が流れそうである。

命は金じゃないとしながら、一方で医療はお金がかかる。

《正義》 一定の医療を受けられるシステムを保護。
《悪》 医療の全てをお金を出した者だけが受けられる。
(河沿桜子)

 

現に私の周りで、これをやっている人がいたら、相当な理由がない限り(その人の家族が難病とか)、賛成できない。

別の視点でも考える。

特定の医師にお金が入る→そのお金で医師は家を買う→不動産屋は利益で別のアパートを建てる→そのアパートに別の人が住み、そこで働き、賃金が発生する→とんかつ定食をレストランで食べる……☞経済が循環し、沢山の人にお金が回る可能性が増え、沢山の人が生きる手立てを得られる、かもしれない。

《正義》 経済の循環の可能性が上がる。
《悪》 他者の治療可能数の減少。
(中曽根亜紀)

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河沿さんも中曽根さんもとても思慮深く、しかも単に客観的なロジックを述べるのではなく、「私」というものに引き寄せた体温の感じられる意見を述べてくださっています。そこがとても良いと僕は感じました。

さて、ここからが僕の今週の講義です。

実はこの設問は、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による超人気の哲学講義“JUSTICE”で実際に使われた設問だ。日本でもその著書がベストセラーになり、テレビ番組でも扱われているのでご存知の方も多いと思う。マイケル・サンデルは1953年生まれで、僕と同い年である。専門は政治哲学だ。

正義の問題について議論する時、たとえばこんな設問がよく取り上げられる。

 

《1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?》

 

これは哲学的な問題であり、同時に文学的な問題でもある。ただし今回取り上げたケース3つは、Nさんが「本原稿が、経済(数字)を一つの要素として、正義か否かを見ているとお見受けしたので、経済とそれ周辺を取り巻く、倫理?(「生」でしょうか?)を絡めて、考えてみました」と鋭く指摘しているように、あくまでもお金を巡る「正義」の問題として提出されている。

僕らは、あらゆるものがお金で取引される時代に生きている。

先日、千葉県民が台風15号の災害に見舞われたが、ビニールシートを屋根に貼る業者の数が圧倒的に少なく、通常料金の2万円から3万円だと1ヵ月待たなければならない。だが10万円支払えば、すぐに工事をする業者が現れた。

多くのボランティアが現地に入る一方で、これは詐欺的な行為なのではないか──という意見がある。

かつてフロリダが台風に見舞われた時、ホテルの価格が10倍に跳ね上がり、東海岸からミネラルウォーターを積んだトラックのコンボイがフロリダを目指した。ミネラルウォーターの価格も10倍以上にはね上がった。

家屋の修理の代金も、一気に高騰した。

アメリカらしい話だと言ってしまえばそれまでだが、それぞれの業者にインセンティブを与えることによって、台風災害に遭ったフロリダの復興が加速したのも事実なのである。

ダフ屋みたいな業者に罰則を課せば、フロリダに飲料水が行き渡るのは何ヶ月も先になったかもしれない。

それを是とするのが市場経済の論理である。

これを市場主義と言う。

日本でも、ある時期から市場経済の論理で社会が動くようになった。竹中平蔵と小泉純一郎の構造改革からだろう。そんなふうに圧力をかけたのはもちろん外資である。

市場経済の論理に従えば、インドの代理母の問題もクロサイを撃つのも、コンシェルジュ・ドクターも、すべて「正義」である。それどころか、臓器が売買されるのも民間会社が戦争を請け負うのも、市場主義の論理にかなっている。

売る方も買う方もメリットを得ているからだ。

大学の教員をやっている時、奨学金を借りている女子学生の1人がキャバクラでバイトしていた。「キャバクラぐらい別にいいんじゃないの」というのが僕のスタンスだった。

彼女は就活し、しかしどの企業の初任給もキャバクラのバイトの半分ほどだった。家に食費も入れなければならず、それでは生活が立ち行かない。

結局彼女は正規に就職することをやめ、キャバクラで働き続けることにした。

これは僕が勤務していた大学での話ではなく、別の大学の友人から聞いた話だが、キャバクラどころかデリバリーヘルスで働く女子学生も少なくないのだそうだ。

たまたまホテトルの運転手のバイトをやっている男子学生が、同じ大学の女子学生をホテルまで乗せてショックを受けた──という話もある。

こうした経済的な取り引きにはなんら問題はないのだろうか。売り手と買い手が合意のうえで、双方がメリットを得ているのだから外野の僕らがいろいろ言うべきではない?

しかし、やはり何かがおかしい。

倫理の問題なのか、格差の問題なのか、いずれにせよある種の居心地の悪さから自由になることが出来ない。

 

【4つの正義】

マイケル・サンデル教授は……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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