特別公開:あなたは善人ですか、それとも悪人ですか? 山川健一

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『 今週は、趣向を変えて、講義というよりはエッセイふうに話を進めたいと思う。ただし、とても重要な話である。タイトルの通り「あなたは善人ですか悪人ですか?」という話だ。

我ながらすごいタイトルで、かなり親しい間柄でも面と向かって聞くことは難しい。

太宰治の「鉄面皮」という短編の一行目はご存知ですか?

<安心し給え、君の事を書くのではない。>(太宰治「鉄面皮」)』

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「私」物語化計画 2019年9月13日

特別公開:あなたは善人ですか、それとも悪人ですか? 山川健一

先週まではジョーゼフ・キャンベルの神話についての講義で、書く方も大変だったが、読むほうも大変だったろうと思う。コメントも付けづらかったようだし。

 

今週は、趣向を変えて、講義というよりはエッセイふうに話を進めたいと思う。ただし、とても重要な話である。タイトルの通り「あなたは善人ですか悪人ですか?」という話だ。

我ながらすごいタイトルで、かなり親しい間柄でも面と向かって聞くことは難しい。

 

太宰治の「鉄面皮」という短編の一行目はご存知ですか?

 

<安心し給え、君の事を書くのではない。>(太宰治「鉄面皮」)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2284_15076.html

 

このタイトルでこの書き出し、最初にこれを読んだときには、誰だってぎょっとすると思うのだが、善人か悪人かと聞かれても普通は多少の違和感を抱くものだろう。そもそも失礼だし。

しかしここは、それなりに真剣に考えていただきたい。考えてから先を読んでください。
──5分間のコーヒーブレイク──

【悪が存在しない小説はつまらない】

さて、結論は出ましたか。

『「私」物語化計画』の会員のみなさんは、もちろん1人残らず善き人たちであると思う。つまり善人だ。少なくとも日常生活や友人関係においてはそうだろう。

僕だって、日常的なレベルではかろうじて善人の範疇に入るだろうと思う。

 

翻って悪人とはどんな人間なのだろうか。よく「業が深い」などと言う。これは悪人に近いニュアンスだろう。

《彼(彼女〉は業が深いからね》

《人間とは、業の深い生き物である》──などと使われる。

男の場合だと業が深いのは金に執着するイメージで、女の場合だと恋愛に執着する感じだろうか。もちろん女性で金に貪欲な人もいるだろうし、男性で元恋人に執着する人もいるだろうが。

この「業」とは仏教用語の「業(カルマ)」のことだ。カルマとは、前世で行った悪行の報いということである。

なんだかすごい展開になってきたが、業が深いというのは「前世で重ねた罪深い悪行の報いを現世で背負っている」という意味になる。

つまり、それが悪人という存在だ。

もちろん皆さんとは、そして願わくば僕とも関係のない話のはずだ。ただし、それは僕らが小説というものを書かなければの話だ。

 

僕らは、時に本質的に「私」について考えたり、小説を書いたりする。その時にも善人だと言い切れるだろうか。

ここが文学や芸術の厄介なところなのだ。

今回僕が皆さんに伝えたい最も重要なことは「みんな良い人過ぎてそのままでは面白い小説になりませんよ」ということだ。

因果な話だよなぁと自分でも思うが、作家は作品に向かっている時は悪人になり行間に悪を忍びこませないと面白い小説は生まれないのです。

 

僕自身の話をしよう。

文学や「私」に向かい合う時、僕の胸の中に黒曜石の結晶みたいなものがある。そいつは外側からは見えないけれども、鉱物と同じような確かさでそこにある。

 

一つ小説を書くことは、一つ罪を犯すことだとぼくは思っている。もちろん皆さんの全員がそうだと無茶なことを言うつもりはない。

しかし多かれ少なかれ真剣に小説を書くと、大切な誰かを傷つけることになりはしないだろうか。

たとえば、弟が亡くなったとしよう。レクイエムのつもりで10年後に彼のことを小説に書く。既に亡くなっている弟が傷つくことはないだろうか?

小説を書くことで書いた方は癒され、弟は時の向こう側に置き去りだ。

これはフェアではないと僕は感じる。

自分が癒されたことで、弟が傷ついているように感じてしまうのだ。

しかしそんなことでひるんでいたら小説を書くことなど出来ないから自分を叱咤して書くわけだ。

 

小説を書くだけではなく、「私」というものを対象化する時にも事情は同じだろう。

僕にとっての「ジェノバの夜」とは、簡単に言ってしまえば「ロックと共に生きていくのだ」と決意したその瞬間だったろうと思う。

しかし、ロックの名で呼ばれる価値観を守るために、どれだけ大切な人たちを傷つけてしまったか。

これは悪人の所業なのではないだろうか。

そして、こいつの因果をひっくり返せば、「悪」が存在しない文学というものはつまらないということになるのである。

 

【非道だった松尾芭蕉』

芭蕉の「野ざらし紀行」には、富士川の川辺で出会った3歳の子供を見殺しにするエピソードが出てくる……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)

 

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