特別公開:緊急講義5 クライムノベルは何を達成できるか? 『ニュースキャスター』における行為者と認識者 山川健一
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『今回の講義で扱うクライムノベルの3つの例を、僕は『安息の地』『ニュースキャスター』『歓喜の歌』の順番で書いた。
構造的に一番シンプルなのは『安息の地』で、犯行が結末部分に置かれている。『歓喜の歌』の場合は、変則的ながら時間軸の冒頭に置かれている。この2作はクライムノベルの典型的な形に則って書いたわけだ。
そんなふうに犯行の位置で分類するならば、『ニュースキャスター』は二つの典型的なクライムノベルのパターンを踏襲してはいない。犯行が小説のちょうど中盤で行われることになっているからだ。
なぜそうしたのか、別の座標軸でこの『ニュースキャスター』の構造を説明したいと思います。』
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「私」物語化計画 2019年6月28日
特別公開:緊急講義5 クライムノベルは何を達成できるか? 『ニュースキャスター』における行為者と認識者 山川健一
今回の講義で扱うクライムノベルの3つの例を、僕は『安息の地』『ニュースキャスター』『歓喜の歌』の順番で書いた。
『ニュースキャスター』には5年かかっている。もう1作『夜の果物、金の菓子』という犯罪小説があり、この4本の長編小説を書くことにほぼ10年を費やしたことになる。
はぁ、なかなかに辛い10年でした。
構造的に一番シンプルなのは『安息の地』で、犯行が結末部分に置かれている。『歓喜の歌』の場合は、変則的ながら時間軸の冒頭に置かれている。この2作はクライムノベルの典型的な形に則って書いたわけだ。
そんなふうに犯行の位置で分類するならば、『ニュースキャスター』は二つの典型的なクライムノベルのパターンを踏襲してはいない。犯行が小説のちょうど中盤で行われることになっているからだ。
なぜそうしたのか、別の座標軸でこの『ニュースキャスター』の構造を説明したいと思います。
少し難解な話になってしまうかもしれないが、お付き合いください。
小説の主要な登場人物には、二つの型がある。それが「行為者」と「認識者」である。認識者としての主人公が行為者としての友人あるいは恋人のことを語る──というパターンの小説は非常に多い。
大江健三郎氏の二つの作品を例に行為者と認識者の説明をしておこう。
認識者が行為者について語る典型が『日常生活の冒険』である。
たぐい稀なモラリストにして性の修験者である斎木犀吉は、十八歳でナセル義勇軍に志願したのを手始めに、およそ冒険の可能性なき現代をあくまで冒険的に生き、最後は火星の共和国かと思われるほど遠い見知らぬ場所で、不意の自殺を遂げる。
二十世紀後半を生きる青年にとって冒険的であるとは、どういうことなのか──ということを友人の若き小説家が語る、という構造になっている。
もちろん行為者が斎木犀吉であり、認識者が小説家だ。
もう一つ、認識者である主人公が行為者に強く憧れる様を描いた『見る前に跳べ』という短編を紹介しよう。
主人公には娼婦のガールフレンドがいて、彼女にはフランス人のパトロンがいる。主人公は彼女のパトロンに向かって、エジプトかベトナムへ行って戦いたいと常々言っている。
ところがそのフランス人が、「特派員としてベトナムに行くことになったからお前を連れて行ってやる」と言う。主人公は突然の申し出にどうしたらよいか途方にくれてしまう。
それを見たフランス人は、おまえは口先だけで実は臆病者ではないかと侮蔑の言葉を投げかけるのだ。
主人公はそれに反発するどころか納得してしまい「おれは現実の壁際迄歩いて行くが、そこから尻尾をまいてひきかえす、いつもそうだ、決して跳ばない、おれは卑怯だ」と考えるのである。
文学には多かれ少なかれ「跳ばない」、つまり行為しないことに対するコンプレックスがあり、それを克服するためにフランスの詩人ランボーは詩を捨て武器商人としてアフリカに旅立ったのだし、三島由紀夫は文学を捨て自決したのである。
クライムノベルがスリリングで面白いのは、思うに、この行為者へのコンプレックスから逃れられているからではないだろうか。
多くのクライムノベルの場合、主人公は犯行者である。つまり行為者だ。しかし彼は行為者であるのと同時に、自分の犯行について深く考える認識者でもある。
ドストエフスキーの『罪と罰』も三島由紀夫の『金閣寺』も、主人公は行為者と認識者を共に内包した犯行者なのだ。
クライムノベルのダイナミズムの秘密は、そこに隠されているような気がする。
【メモ】
多くの小説は、行為する者とその意味を考える──つまり認識する者が別のキャラクターとして配置されているのに対して、クライムノベルの大きな特徴は、1人の主人公の中に「行為者」と「認識者」の両方が共存していることだ。
実はこのことを意識するのはクライムノベルに限らずプロットを構築する際にとても有効で、キャラクターメイキングした登場人物を配置する時、誰が行為者で誰が認識者なのかを厳密に決定しておいた方がいい。
言うまでもないことだが、これは前に述べた「関係の絶対性」によって時間軸と共に変化していく。『罪と罰』のラスコーリニコフはもちろん行為者であり、恋人のソーニャや予審判事のポルフィーリィが認識者として彼を追い詰めていく。
だがそのラスコーリニコフも、スヴィドリガイロフに対しては認識者として機能するようになる──という具合だ。
僕の『ニュースキャスター』の場合、地上波テレビの全体を生き物のように描くという目的を達成するために、クライムノベルでありながら行為者と認識者を明確に切り離す必要があった。
主人公の立花耕一はニュースキャスターである。
つまりテレビカメラの前でニュースを伝える徹底した認識者なのである。ニュースキャスターほど現代の認識者にぴったりの存在はないと、プロットを立てる段階で僕は思ったのだ、
まず、目次を紹介しておきます。
《目次
第一章 予 兆
Ⅰ 埋め込まれた異物
Ⅱ 試射
Ⅲ オン・エア
第二章 行 為
Ⅰ プロデューサー
Ⅱ 戦争屋
Ⅲ 視聴率
Ⅳ 犯行、そして潜伏
Ⅴ 噓だらけの世界
第三章 情 愛
Ⅰ 速達
Ⅱ 空を渡っていく鳥
Ⅲ メディアの思惑
Ⅳ 妻の立場
Ⅴ 野心と暖かさと感傷的な旋律
第四章 意 志
Ⅰ 報道関係者殿
Ⅱ Tell the truth TVC.
Ⅲ 外資の陰謀
Ⅳ もしも神が存在するとしたら
第五章 孤 独
Ⅰ 出来の悪い長い詩
Ⅱ 本当に殺すに値するもの
Ⅲ 逮捕
Ⅳ ブラウン管の中の孤独
エピローグ》
内容については、『ニュースキャスター』の帯や新聞広告などに担当編集者が書いてくれたコピーを引用しておこう。ちなみにこの作品の担当編集者……(特別公開はここまで、続きはオンラインサロンでご覧ください)